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第201号2009年1月1日号

2009年01月25日

骨髄移植が1万例、さい血移植が5000例に!            両バンクが12月2、3日に相次いで

 昨年12月2日、さい帯血バンクを介したさい帯血移植数が5000例に到達、翌12月3日には、骨髄バンクを介した骨髄移植数が1万例に到達しました。両バンクをあわせて1万5000人の患者さんが生きるチャンスを得たことになります。
 1991年12月、全国のボランティアの運動が実り、公的骨髄バンクである骨髄移植推進財団が設立され、1993年1月にバンクを介した第1例目の非血縁者間骨髄移植が行われました。1万例到達まで公的骨髄バンク設立から17年、第1例目からは約16年が経過しています。
 また、1995年には最初のさい帯血バンクである神奈川臍帯血バンクが設立され、1997年2月には、日本で第1例目の非血縁者間さい帯血移植が行われました。その後2001年に国内9つのさい帯血バンクが集まり「日本さい帯血バンクネットワーク」が設立されました(現在は11バンクが参画)。さい帯血移植は第1例目から約12年で5000例に到達したことになります。
 私たち骨髄バンクのボランティアにとって、この2つのニュースはたいへんうれしく、感慨深いものがあります。骨髄バンクの設立運動から活動を始めたボランティアの先輩方、行政・医療関係者の皆さん、骨髄バンクやさい帯血バンクの職員の皆さんをはじめ、関係者の方々の長年に渡るご尽力の賜物であり、心から感謝し、ともに喜び合いたいと思います。そして何より、勇気を持って骨髄を提供していただいた1万人のドナーの皆さん、快くさい帯血を提供していただいたお母さんとそのお子さんに、深く感謝します。また、個人的には私自身も1万人のドナーの一人になれたことをうれしく思っています。
 しかしながら、いまだに骨髄移植を希望する患者さんの約6割にしか骨髄移植が実現していない現実があります。さい帯血移植を含め、移植を必要とする全ての患者さんが、必要な時期に必要な移植を受けられることが私たちの願いです。そのためには、ドナー登録を増やすだけでなく、ドナーが提供しやすい環境づくりや、骨髄提供に対する社会の理解と協力を広げていくことが必要です。私たちはこうした活動をこれからも続けていきたいと思います。
 今回、同時期に両バンクの移植例数が1万例・5千例に到達したことを記念して、東京の会も加盟している全国骨髄バンク推進連絡協議会では、「骨髄移植1万例・さい帯血移植5000例 ありがとうキャンペーン」を実施します。全国協議会が呼びかけて、骨髄移植推進財団・日本さい帯血バンクネットワークとの3者で合同のキャンペーンを行う予定でしたが、先月号の編集者雑記に記載されたように、実行委員会の中でキャンペーンの内容を巡って合意が得られず、ありがとうキャンペーンは全国協議会単独で行うことになりました。
 12月21日には、その第1弾として「銀座街頭活動」が行われました(別掲記事参照)。銀座の目抜き通りをパレードした様子は、TBSテレビのニュースで報道されたので、ご覧になった方もいらっしゃると思います。このあと、沖縄から北海道までさくらの植樹を行う「全国リレー記念植樹」や、全国一斉街頭キャンペーン(2月11日)が行われます。東京の会でも、全国協議会の呼びかけに応じて、これらのキャンペーン活動に取り組みます。詳細については、会報やメールでお知らせしますので、多くの皆さんの参加をよろしくお願いします。(事務局長 二見茂男)

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キティを先頭に銀座をパレード

骨髄移植1万例、さい帯血移植5000例記念                 「ありがとうイベント」銀座パレードに参加

 1万例、5000例といっても、それぞれに患者さんとドナーの方がいらっしゃるわけなので、2万人そして1万人のかたがたの縁結びができたということだと思います。さらにそのご家族の方々の人生やご縁を考えると、それぞれのバンクの持つ役割と意味の大きさに感銘を受けます。
 12月21日に行われた銀座パレードでは、キティちゃんの着ぐるみを先頭に100人前後のボランティアの方々といっしょに日比谷公園までを約40分掛けて歩きました。その後、数寄屋橋交差点まで移動し、パンフレットやステッカーを1時間かけて配布しました。日曜日の銀座と言うことで、たくさんの方々にアピールすることができたと思います。あるいはこのパレードにたまたま出会ったことがきっかけで、バンクとのご縁ができる人がいらっしゃるかもしれません。わたしは約40人くらいの人にパンフレットをわたすことができました。その中の1人の女性は、ご自分から進んで手を出してこられたのが印象的でした。もしかしたら何かのご縁ができたのかもしれません。
 また、いっしょに参加したあるボランティアの方が、たまたま通りかかってパンフレットをお渡しした子連れの女性と信号待ちの間に少し会話している姿を見かけました。こういうご縁が参加された100人100様にあったと思うと家でボーッとしているより、出かけてきて良かったと思います。最後にこの日は天気が良く、暖かな気候だったことを付け加えてご報告とさせていただきます。 (松田芳幸)

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サンタ姿でパレード参加の筆者

財団マンスリーレポート記事は事実ではない!

 平成20年12月15日付け骨髄バンク(財団)発行のマンスリーレポートの7番目の項目に“「東京の会通信200号」編集雑記に対して” と題する平井全常務理事の記名記事が掲載されました。この記事の前半部分は東京の会会報200号掲載の骨髄移植1万例、さい帯血移植5000例達成への感謝と今後の更なる支援をお願いするための「ありがとうイベント」実行委員会において財団の合意が得られなかった経緯について説明した本誌の編集者雑記に対するクレームです。この部分に関する評価は立場によって異なると思われますが、常務理事にはいろいろな問題について柔軟な対応をお願いしたいものです。
 しかし、後半の部分は事実に反する記述であり、看過できないものです。「本件のみならず、財団の他の役員、国会議員、厚生労働省などに私の罷免などを働きかけることも正当な行為ではありません」という記載は、あたかも東京の会がそのような活動をしたかのような記述ですが、これは事実ではありません。東京の会は常務理事についても、他の財団役員に関してもこのような記述内容のような活動をしたことはありません。骨髄バンクの公式広報誌である「マンスリーレポート」にこのような事実でない記事が掲載されることは極めて遺憾です。編集責任体制に問題ありと判断せざるを得ません。
 東京の会としては、一人でも多くの患者が救命されることを願い、骨髄バンクが、関連医療機関、諸官庁、支援ボランティア団体と密接な連携協力関係を保ち、円滑に運営されることを願っています。円滑な運営を妨げるような事象が見受けられる場合には、当会として率直に財団宛に問題を提起させていただき、解決をお願いするのが基本方針です。
 財団には外部からの意見に率直に耳を傾け、ドナーさんの安全確保と患者さんには迅速にジャストインタイムに適合する骨髄提供ができる体制作りに生かして欲しいと期待しています。 (新田恭平)

新年のご挨拶

東京の会の皆さん、東京の会通信読者の皆さん、全国のボランティアの仲間の皆さん、新年明けましておめでとうございます。
 昨年は、骨髄バンクを介した骨髄移植が1993年に第1例が行われてから1万例、1996年第1例が行われたさい帯血による移植が5000例に達しました。これは、骨髄移植にかかわる医師をはじめとする医療スタッフ、骨髄移植推進財団、骨髄バンクのボランティア団体、ドナー登録者、家族を含む患者団体等々、かかわった全ての皆さんの真摯な努力が実った表れであることを高く評価するものです。この成果を、単に、一つの通過点ではなく、広く国民の皆さんに、知っていただき、感謝の気持ちを伝えると同時に、前述の団体が、それぞれの立場と持ち場で主体性を発揮し、骨髄バンク事業が総体的により一層発展し、患者さんの救済に貢献するよう望むものです。
 東京の会は1990年に「公的骨髄バンクを望む東京の会」として結成されて以来20年目を迎えることになります。会員の中には、東京の会が結成される前から、骨髄バンクを立ち上げていく活動に参加してきた方や、道半ばで倒れていった仲間も少なくありません。
 この間、東京の会は、現在全国協議会が運営管理している患者救済のための「佐藤きち子基金」の創設、白血病フリーダイヤルとして相談窓口の開始にあたっての努力、毎月欠かすことなく情報を発信し続ける「東京の会通信」の発行、現在、全国協議会が全国で開催している「命の輝き展」へと発展して行った「あやちゃんの贈り物展」の最初の開催など、多大な努力を重ねてきたものです。この他にも、骨髄移植推進財団の地元の会として、財団や登録会へのボランティア派遣なども地道に行われてきました。
 東京の会は節目の20年目となりました。今年は、この20年間の輝かしい成果を、骨髄移植推進財団や骨髄バンクを支援するボランティア団体の共通の、そして純粋の喜びとなるよう望むものです。そのために、東京の会は努力を惜しまないことを表明するものです。
 さて、東京の会は昨年、骨髄移植推進財団元常務理事の堀之内敬氏より、「東京の会通信」の記載内容が名誉毀損に当たるとして、提訴を受けて、現在、東京地裁で損害賠償請求裁判として係争しています。この裁判闘争に関して、短期間のうちに、多額のカンパが寄せられ、多数の激励をいただいていることについて、この場をお借りして、心からのお礼を申し上げるものです。この件に関して、近いうちに、東京の会通信読者のみなさん、全国のボランティアの皆さんに正しい情報をお届けしなければと思っているところでございます。これからのご支援をぜひともお願いいたします。
 いろいろと述べさせていただきましたが、骨髄バンクの創立と、この20年間の関係者の努力は、大河となって、大きなうねりとなって、ゆるぎない流れになることを期待してやみません。今年も、東京の会は、全力で活動し、皆さんと一緒にがんばって行きます。どうかよろしくお願いいたします。

公的骨髄バンクを支援する東京の会代表 三瓶和義
新年のご挨拶

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東京の会裁判第三回口頭弁論の経緯

2008年12月22日午前11時より東京の会裁判第三回口頭弁論が開催されました。第一回、第二回と同じく原告の堀之内敬氏が代理人の弁護士と共に出席、被告東京の会側は宮田信男弁護士他1名の弁護士が代理人として出席し、傍聴席には東京の会側の支援傍聴者10名の参加がありました。
 冒頭、原告から被告である東京の会側からこれまでの口頭弁論で提出された準備書面に対する認否準備書面の提出があり、裁判官から原告に対し、提出書面の字句について若干の確認と訂正の指摘が行われました。ついで次回日程案が裁判官から提示され、第四回口頭弁論期日は来る2009年2月18日(水)午前10時15分東京地裁611号法廷で開催と決まり、閉廷となりま 全国骨髄バンク推進連絡協議会の初代運営委員長である宮戸征美さん(平塚市在住)は、骨髄移植推進財団の元常務理事堀之内敬氏が東京の会を相手取って起こした裁判に対して、東京の会を支援するために30万円のカンパを寄せました。宮戸さんは、東京の会が電話でお礼を述べた時に、自ら視力を失っていることを明らかにし、現在の状況を話してほしいと要望したことから、新田恭平、三瓶和義の両名が平塚の宮戸さんを訪ねてカンパのお礼と、今後の裁判闘争への支援を要請したものです。
 平塚駅改札口まで迎えに来ていた宮戸さんは、思っていたよりも元気で、視力を失っているとはいえ、竹を割ったような口調は、以前と変わらず健在でした。私たちを自宅へ案内した宮戸さんは、財団元常務理事が起こした東京の会への裁判について、現在の全国協議会の初代運営委員長に就任した当時を振り返り、病気にした。この間約6分でした。
 次回口頭弁論にも今回同様多数の応援傍聴をお願いいたします。次回は今回提出された原告の準備書面について当方からの認否反論が行われることになります。
 なお、前号、前々号会報でお願いいたしました「東京の会裁判支援募金」への募金は12月20日現在34口のお振込みを頂きました。温かいご支援心から御礼申しあげます。お寄せいただきました募金は当裁判の弁護費用および裁判に関する諸手続費用など裁判に直接かかわる費用にのみ使わせていただくことにいたします。引き続きご支援をお願い申しあげます。

全国協議会初代運営委員長                          東京の会に力強く支援を表明

 全国骨髄バンク推進連絡協議会の初代運営委員長である宮戸征美さん(平塚市在住)は、骨髄移植推進財団の元常務理事堀之内敬氏が東京の会を相手取って起こした裁判に対して、東京の会を支援するために30万円のカンパを寄せました。宮戸さんは、東京の会が電話でお礼を述べた時に、自ら視力を失っていることを明らかにし、現在の状況を話してほしいと要望したことから、新田恭平、三瓶和義の両名が平塚の宮戸さんを訪ねてカンパのお礼と、今後の裁判闘争への支援を要請したものです。
 平塚駅改札口まで迎えに来ていた宮戸さんは、思っていたよりも元気で、視力を失っているとはいえ、竹を割ったような口調は、以前と変わらず健在でした。私たちを自宅へ案内した宮戸さんは、財団元常務理事が起こした東京の会への裁判について、現在の全国協議会の初代運営委員長に就任した当時を振り返り、病気になった当事者やその家族、全国のボランティアが自らの時間をやりくりし、また、病気を抱えながら、身銭をかけて、命がけで作った骨髄バンクであり、その支援は現在も行われており、患者を1人でも多く救いたいと活動しているボランティア団体を訴えることは、財団当事者だった者として許される行為ではないこと。当時、骨髄バンク創立の運動にかかわった多くの方が亡くなっていることに触れつつ、その方たちに報いるためにも、負けられない裁判であること、財団の要職にある方が、支援組織であるボランティア団体を訴えるなどもってのほかであり、弱いものいじめの典型であることを強調されました。
 最後に、宮戸さんは、必ず勝つこと、そのために、今後も支援を継続していくことを表明しました。大きな勇気をいただいた一日でした。 (三瓶和義)

東京の会通信・200号記念座談会                      役割は東京からの情報発信 

 2008年12月、骨髄バンクを介した骨髄移植数が1万例達成したのと奇しくも時を同じくして、東京の会通信も発刊から第200号に達しました!
 東京の会は、1990年6月30日に発足総会を開催し「公的骨髄バンクを望む東京の会」として、公的な骨髄バンク実現のために草の根運動を始めました。
〈結成時の役員〉
代表/福崎豊一、事務局長/千葉純子、会計監査/手塚春江・村上美智子、広報/池田あゆみ・高橋真軌・山越直毅、企画/野村正満、渉外/木村みさ子・釜井英法、情報/横川宣行・赤沢幸雄・宮田信男
 1987年頃より全国各地で患者家族やボランティアが骨髄バンク設立運動を始め、特定個人の救済を目的にした団体から発展した「全国骨髄バンクの早期実現を進める会」が1987年12月22日に結成されました。「進める会」の働きかけで全国各地でシンポジウムが開催され、日本血液学会など関係5学会によるバンク設立に関する要望書の提出や名古屋骨髄献血希望者を募る会の発足とドナー登録受付開始の発表、下村泰参議院議員の国会での初質問、それと前後して取り組まれた「公的骨髄バンクの設立を求める100万人署名」が世論の関心を集めました。その後「進める会」は「全国骨髄バンク推進連絡協議会(旧協議会)」に改称し、全国のボランティアから85万人の署名を集め国会に提出し日本中の世論に骨髄バンクの必要性を訴えました。その後、全国各地の団体代表者による全国組織を求める声を反映し、議論を重ねて、東京の会など全国13団体が加盟する「全国骨髄バンク推進連絡協議会(現全国協議会)」が1990年6月24日設立総会を開き、患者・家族、提供ボランティア(ドナー)などが参加し、各地団体の連合体としての活動を開始しました。日本赤十字社が中心となったドナー登録受付体制及びコーディネート業務の実施体制の確立、ドナーの安全確保と補償制度の確立、国民の意見が反映される体制の構築等を要望書として厚生省・日本赤十字社に提出しました。さらに東海骨髄バンクが発足したことなどが厚生省を動かし、1991年12月18日ついに「骨髄移植推進財団」が公的骨髄バンクとして発足しました。(参照文献:全国骨髄バンク推進連絡協議会10周年記念誌「10年のあゆみ」)
 東京の会も「望む会」としての役割が終わり、1992年3月28日「望む会第3回総会」の場で、名称を「公的骨髄バンクを支援する東京の会」と変更し改めて「公的な骨髄バンク制度が円滑に運営されるための協力支援」を会の目的とし新しい活動が始まりました。
〈公的骨髄バンクを支援する東京の会・役員〉
代表/野村正満、事務局長/千葉純子、会計監査/手塚春江・村上美智子、総務/福崎豊一・木村みさ子、広報/池田あゆみ・横川宣行、企画/三瓶和義・上田俊明、情報/中野義樹
 今月号では東京の会通信200号を記念して、東京の会設立当初より現在まで活動を続けている、三瓶和義さん・野村正満さん・千葉純子さんに同席していただき、当時の様子を振り返っていただきました。

司会■「公的骨髄バンクを支援する東京の会」が発行する「東京の会通信№1」は、1992年5月12日に発行されています。当時はワープロ原稿を謄写印刷して会報としていました。
野村■この会報の前にも発行しているニュースがあるはずなんだけど……。
千葉■そうそう、1990年6月30日に「公的骨髄バンクを望む東京の会」が発足してから、「望む東京の会通信」を発行したはずです。
野村■FAXで千葉さんに原稿を送っていましたね。当時は原稿を手書きで書いてました。
司会■ありました。望む会の「東京の会通信」創刊号が1991年8月8日に発行されていました。1990年6月30日に「公的骨髄バンクを望む東京の会」が発足し、翌年8月に第1号が発行されています。
千葉■この記事は、クリスマス献血に参加した野村さんの息子さんが書いてくれた原稿だよね。なつかしいなー。中学2年生ぐらいの時だったっけ。
野村■当時は、シンポジウムの内容や今後の予定を書いていたんだね。池田あゆみさんが骨髄提供するときの体験記が記事になったんですね。これは連載記事でしたね。
三瓶■「公的骨髄バンクを支援する東京の会」に会の名称を変更したのは、1992年3月28日の第3回総会だから、それまでは「公的骨髄バンクを望む東京の会」として会報を発行していたんですね。
野村■望む会の「東京の会通信」は1991年8月から第3回総会を告知する1992年3月まで8号発行していますから、支援する会の「東京の会通信」200号を合わせて18年208号毎月連続で発行し続けていることになるんですよね。そして今現在も継続発行中です。
司会■当時はどこで作っていたのですか。
千葉■当時は浅草の「全国協議会」事務所に私がいて、FAXで原稿が送られたり、キタナイ手書きの原稿だったりをひとまとめにしてワープロで打っていました。
野村■当時はまだワープロの時代。千葉さんがワープロ入力して、ワープロ原稿を切ったり貼ったりイラストを挿入したりして「東京の会通信」の形にしてたんです。
千葉■会報の印刷は、三瓶さんの職場「井の頭病院」の労働組合の全面的なご協力で、印刷から紙の提供まで無償で協力してくれていたんですね。感謝です。
野村■だから当時は印刷費や紙代はゼロでした。三瓶⃝印刷用紙は、その時あり合わせの余っていた紙だったので、黄色やピンクなど毎号カラフルなんです。A3に両面印刷だったから、裏写りしてけっこう汚くなってるんです。写真も使えなかったしね。
野村■会報を「おりおり」して封筒に「いれいれ」して切手を「はりはり」していました。切手を1枚ずつ切る細かい作業もあって、近くのポストへ持って行ってた。
千葉■「おりおり」は、当時浅草の全国協議会事務所でやってました。三瓶さんの事務所でも何回かやったし、全国協議会の協力者などで東京都内在住の人や行政の窓口・データセンターなどへ、今と同じ1000通ぐらい発送していたんじゃないかな。
三瓶■うちの事務所でも何回かみんなで封入作業したね。覚えてますよ。その後オフセット印刷が導入されるまでは、組合事務所の印刷機が大活躍していたんですね。
司会■オフセット印刷へ変更したのは第14号から。それまでの2年間ほどは「井の頭病院労働組合」の印刷機利用です。なお発行が毎月1日になったのは1993年10月の第18号からです。
千葉■当時から会報に振替用紙を同封するのは私の発案。それは現在財団にも継続していっている。(東京の会でも年4回同封してます)振替用紙に東京の会の口座番号を印字するのに、プリントゴッコで1枚1枚印字しました。でも振替用紙を入れたことで、寄付をしてくれる人がたくさん出てきた。とってもありがたいことだと思いますね。
三瓶■ほかでも発送作業やってたよね。四谷荒木町のお弁当やさんの跡地で倉庫みたいな所でもおりおりやってたよね。
司会■会報発送作業は浅草から始まって、三鷹の三瓶さん事務所、四谷荒木町仮事務所など、都内を転々として、1995年頃からは正式に「おりおり」開始、毎月第1土曜日に現在の品川運輸4階会議室に定着しました。
野村■発足当時は東京の会事務所も固定していなくて転々としていたし、会報に掲載の東京の会電話番号は宮田先生の事務所などに設置してみんなで外から留守電を聞いていましたね。
司会■荒木町にあった東京の会仮事務所は四谷三丁目から徒歩5分ですが、道順が難しくて始めての人では決して行き着けない場所で、会報の案内には「駅からお電話ください」と記載されていました。
司会■「東京の会通信」作成にあたりどんなことを意図していましたか。
野村■東京という地にあって、東京に存在する財団や厚生省・日本赤十字社などが現在どのような状況にあってどんな動きや話し合いをしているのかを、見聞きした内容を地方へも情報発信する役割を持っていたと思います。
千葉■全国のボランティアから、会報が届くのが楽しみだとの声が当時より届いていましたね。発送が遅れると「まだ届かないんだけど」と言われちゃうんです。
三瓶■地方にいるとなかなか東京の事情が伝わって行かないんだろうね。中央で何がおこなわれているか当時は知るすべが少なかったということでしょう。現在でも東京の会通信は全国に熱心な読者を持っています。
野村■当時は患者さんへの病名告知が一般的ではなかったから、封書で会報を送るときにも「東京の会」から発送したことを伏せて、送り主を個人名にして送るケースも多かった。
司会■特定の患者家族に送る場合は、患者本人に知られないよう封筒を分けて、個人信書として発送しました。
野村■オフセット印刷へ変更した14号からは、実名入りで「患者からのメッセージ」を始めました。発病から闘病の様子、患者さん本人の言葉が、読む人の心を揺さぶる素晴らしいメッセージとなっています。第25号からは「骨髄提供者からのメッセージ」も開始しました。
三瓶■この患者・ドナーからのメッセージは、東京の会10周年記念事業で「もう一人の私」として1冊の本にまとめられました。患者・ドナーの素直な心模様と、10年間の骨髄バンク・東京の会の歴史も同時に掲載されている、読み応えのある素晴らしい本です。多くの方々に読んでほしいですね。
司会■会報の発行で苦労したところは。
野村■続けて発行することが一番の苦労かな。家庭の事情やいろんな突発的な事が発生しても、毎月必ず発行するのは並大抵のことではない。印刷の締切日は待ってくれないし、何があっても発行するという作業を20年近く毎月続けているんですからね。
千葉■毎月会報に掲載できる連載記事があれば良いんだけれど。イベントの情報をこまめに報告することも大事ですね。患者さんやドナーさんからのメッセージもぜひ続けてほしい企画ですね。
 お忙しい中お集まりいただいた、三瓶和義さん、野村正満さん、千葉純子さん、本当にありがとうございました。

★東京ドナー登録会予定(1月)★

1月 7日(水)赤羽駅前( 北区)
1月11日(日)玉川神社(東輝建設株)(世田谷区)
1月14日(水)文京シビックセンター(文京区)
1月16日(金)平井駅( 江戸川区)
1月16日(金)日本赤十字社本社( 港区)
1月16日(金)池袋警察署隣り (東京西池袋ビル噴水前)(豊島区)
1月17日(土)ぽっぽ町田( 町田市)
1月19日(月)日本橋たもと( 中央区)
1月28日(水)東京都庁第一庁舎16階健康管理室( 新宿区)
1月28日(水)晴海トリトンスクエア( 中央区)
1月29日(木)東京都庁第二庁舎1階二庁ホール( 新宿区)
1月29日(木)晴海トリトンスクエア( 中央区)
1月30日(金)東京都庁第二庁舎1階二庁ホール( 新宿区)
1月30日(金)晴海トリトンスクエア( 中央区)

心のこもったご寄付ありがとうございました。(2008.11.16~12.15)

和泉屋正敏さん 3,000円/記野淳子さん 7,000円/手塚春枝さん 7,000円/匿名 20,000円/
鈴木修司さん 7,000円/湯原孝行さん 3,000円/小松美穂さん 7,000円/西郷京子さん 10,000円/中谷光子さん 2,210円/藤井奈保子さん 2,000円
お寄せいただいたご寄付のうち、会費未納の会員からは会費(年3,000円)を差し引いて掲載させていただきました。

◆編集者雑記◆

▼財団のマンスリーレポート(昨年12月15日付)に、平井常務理事個人名での本誌“「東京の会通信200号」編集雑記について”と題する内容が掲載されています。ちなみに『編集雑記』ではなくて正しくは『編集者雑記』です。それはともかく、先月号の本欄に記載されている内容に対しての平井氏の個人的な反論と主張です。
▼ところで、財団のマンスリーレポートは、月に1回発行される関係者を含む一般市民に向けた公式広報誌であると誰もが認識しています。そのような性格を持つ媒体に、ボランティア団体の会報掲載記事に対する個人的な批判記事を掲載するという行為に驚きを隠せません。まさに、広報誌の私物化もいいところです。
▼もし、このような行為が許されるとしたら、平井氏の主張に対する反批判記事を編集子がマンスリーレポートに掲載することを要求したら、それは許されるでしょうか。財団広報誌を論争の場にすることなど望みもしません。しかし、そのような危うい状況を生み出しかねない行為を、実際に行っていることが問題なのです。
▼さらに、事実とは違う「罷免を働きかけること」を東京の会が行っているとまで書いていることは、本号別掲の記事にあるとおりです。まことに、平井氏の日常的な言動を露呈した内容です。前号編集者雑記では常務理事の「かたくなな姿勢」と「どこまでも自らの主張を押し通そうとする協調性のなさに」を指摘したものです。
▼しかし、実行委員会の発言内容は時に「だまれ、若僧」などという暴言も出るものであったそうです。どのような発言を重ねていたのか、全国協議会では実行委員会の議事録(発言録)を作成しています。興味がある方はお読みになってはいかがでしょうか。それは決して「賛成しかねる」から反対というレベルではありません。
▼また、罷免要求活動は東京の会はしてきませんでしたが、このような傍若無人な言動が続くのであれば、編集子の個人的な意見ですが、私たちボランティアは正々堂々と平井氏を罷免するための活動を行うべきだと思います。では、どのようにして財団の常務理事が任命されるシステムになっているかから考えてみましょう。
▼財団の理事は評議員会で選任されます。その評議員は理事会で選任されます。それ自体がおかしなものですが、実際には理事や評議員の人選は常務理事を中心に案を作成し、厚労省へのおうかがいと天下り人事を加味して事務局案ができ、評議員会や理事会ではそれを追認するということがこれまでずっと行われてきました。
▼評議員会も理事会も積極的に自らの役割を果たしてはこなかったのです。その結果が、このような状況を生んでいるのです。こうした事態をきちんと評議員に伝え、今年3月の役員改選時にはボランティア団体の意向を示すことも重要ではないでしょうか。私たちは常務理事が官僚天下りだから批判しているわけではありません。
▼確かに、社会では天下りに対して厳しい目で見つめています。役所を辞めた後も、退職後管理という名目で、官庁は再就職先を最後まで面倒をみています。天下り全廃が様々なところから聞こえてきますが、簡単ではないでしょう。1人でも官僚トップの事務次官に上りつめると、キャリアの同期入省者は退職することになっています。
▼そして本省から独立行政法人や外郭団体、監督下にある公益法人や影響する学校法人や企業に天下ります。その背景には、公務員には雇用(失業)保険がないなどの制度の問題もあります。何しろ、役所には倒産はないのです。そういった世間の風とは無関係の環境からは、世間知らずの天下りも何人かいることも否定できない事実ではあると思います。
▼天下りでもいい、腕白でもいい、会話をしながら、きちんと仕事をしてくれる人材であるならば、と思います。私たち骨髄バンクのボランティアにとって、自分たちが創り、育ててきた骨髄バンクだからこそ、健全に機能する組織であってほしいと願っているのです。ただ、それだけのことをいいたいのです。なお、東京の会通信は投稿を受け入れています。紙面の許す限り、掲載してまいります。

♪「1月定例会」/2月会報発送「おりおり」 のお知らせ♪

「1月定例会」
1月13日(土)午後5時30分より
会場:全労済東京・レインボー会館3階会議室
※新宿駅下車7分(新宿区西新宿7-20-8)
※西新宿駅下車1番出口徒歩2分 青梅街道新宿警察署きらやか銀行の角入ってすぐ右側
※2月定例会予定・2月21日(土)午後5時30分より

定例会は 毎月第3土曜日午後5時半 から開催することになりました。

「2月おりおり」
2月7日(土))12時30分より
場所:品川運輸・4階会議室
JR大井町駅徒歩8分・京浜急行鮫洲駅徒歩2分
(品川区東大井2-1-8)
※今お読みになっている「東京の会通信」を1000部折っ
て封入して発送します。簡単な誰にでもできる作業で
す。いつも人手が足りません。どうかご協力を。
※3月「おりおり」予定・3月7日(土)12時30分より

新しい方大歓迎です。お気軽においで下さい。お待ちしています。

11月末日現在 登録・適合状況

◆◆◆日本骨髄バンクの登録患者と検査済登録ドナー◆◆◆

ドナー(全国) 登録者累計 326,848人/11月登録分 3,996人/11月抹消分 596人/実質登録増 3,400人
ドナー(東京) 登録者累計  48,421人/11月登録分 434人/11月抹消分 73人/実質登録増 361人
患者(全国)  登録者累計 26,392人/11月登録分 187人


◆◆◆患者とドナー登録・適合状況(11月末日現在)◆◆◆

ドナー登録受付者数(累計)413,502人
ドナー登録抹消者数(累計)86,654人
有効二次検査済ドナー数 316,701人( 11月9,822人増)
二次検査適合ドナー数(累計) 186,204人
実質登録患者実数(現在) 2,360人( 国内1,368人)
HLA適合患者数(累計) 21,533人( 患者累計数の81.7%)
非血縁移植実施数 9,991例( 11月実施101例)

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