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2010年02月 の通信

2010年02月15日

箱根駅伝
あたたかかった お正月

 2001年の秋に「箱根駅伝」で骨髄バンクの普及啓発をやりたいと思いました。お正月の世の中、「明けましておめでとう」「おめでとう」の空気で満たされている中で、「めでたくはない」とドナーを待ちながら病院でお正月を過ごす患者さんの励みになればと、友人二人と始めた活動です。2002年の箱根駅伝で、財団から借りた幟旗17本を小田原中継所と宮ノ下に設置しました。
 あれから約10年、箱根駅伝主催者の関東学連をはじめ、多くのボランティア、学生の協力を得て、今年も行うことができました。
 これまでは、30万人のドナー登録者という大きな目標がありました。ドナーを待ちながらお正月を過ごされる患者さんの励みになるような活動であると準備をし、情熱を注いできました。そして、ボランティアの想いが変わらず続いてつながっている活動でもあります。今後も、協議会が主催となりこの活動の輪が一層広がるよう準備を進めて、大学生も積極的に参加できるような活動となるよう期待したいものです。ボランティアにとって大切な何かがそこにあると信じています。 (大橋)

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臨場感溢れる応援現場 田町にて


■初めて参加した応援活動
 2010年、箱根駅伝での応援活動に東京の会・千葉の会の皆様と一緒に、田町駅で初めて参加いたしました。私は東京の会に参加させていただき間もないのですが、赤いのぼり旗を立てた皆様は勇ましく、携帯でみるテレビ放映と合わせて、現場は非常に臨場感が溢れる劇場にいるようでした。
 小さい頃、名古屋の日赤病院で治療しておりました息子(今では野球バカの中学2年生)も黄色のタスキをつけて応援し、帰ってからもニュースをチェックしては、「映ってたよ!」と喜んでおりました。レースや各選手にも様々な感動やドラマがある様に、赤いのぼりを見かけた方が次の“いのちのタスキ”をつなげていただく事に少しでも関心を持っていただける様、これからも活動に参加させていただきます。(浅井)

■今年は私が応援する側千葉の会 笹森ゆきの
 お正月恒例の箱根駅伝啓発活動は、今年も1/2.3の2日間で行われました。東京、千葉の会ボランティアの方に加え、プルデンシャル生命の社員やご家族の方々にも多大なご協力をいただき、今年も真っ赤なのぼりをあちこちで見ることができたと思います。
 2年前のお正月、私は骨髄移植のための入院を控えていました。大谷貴子さんから「TVを通してゆきのちゃんに応援メッセージを送るよ」というメールをもらい、箱根駅伝の中継で見つけた沿道の赤いのぼりに励まされたことを覚えています。
 その後、移植も成功し、今年は自分が応援する側に回れるほど元気になりました。往路、復路とも応援しましたが、選手達は一瞬で目の前を走り去っていきました。そのスピードに圧倒されると共に、それぞれが色々な思いを持って一つのタスキをつないでいるのだろうなと考えたら、胸が熱くなりました。骨髄移植という、ドナーさんから患者さんへの命のタスキリレーも、そこに関わる多くの人の思いがつまっているのだと思います。そして「一人でも多くの患者さんに元気になってほしい」という思いが、毎年この箱根駅伝を通じてたくさんの人に届いていると思います。
 また来年も赤いのぼりを持って、選手のみなさんとTVを見ている患者さんに精一杯エールを送りたいです。
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こんなに元気になりました。

東京の会〜20周年を語るつどい〜を開催!

 今年「公的骨髄バンクを支援する東京の会」は20周年を迎えます。1989年に「公的骨髄バンクを望む東京の会」として発足し、1991年12月に財団法人骨髄移植推進財団の発足を期に「公的骨髄バンクを支援する東京の会」と名称を変えましたが、骨髄バンク発展のためにこれまでと変わらぬ思いで活動を続けてまいりました。その基となる思いは患者救済、ドナーの安全です。
 今回、設立20周年を記念して「東京の会.20周年を語るつどい.」を開催し、設立に関わった東京の会メンバーをはじめ、これまで活動に携わったボランティアが一堂に会し、設立時の苦労話や活動ウラ話等、この20年を振り返り大いに語っていただきたいと思います。そして、新しい明日・これからの活動のヒントを見つけられればうれしく思います。皆さま、ご多忙のこととは存じますが、一人でも多くの方にご参加いただければ幸いです。

日時 3月22日(月・祝)
会場 ローズガーデン新宿 ガーデンレストラン 
   コフレドール
会費 5000円 (ビッフェ形式・飲食代込み)
※ご出席希望の方は、東京の会事務局までご連絡下さい。

お願い
 当日、会場で皆様にご紹介可能な当時の活動の写真等がありましたら、東京の会事務所までお送りください。また、東京の会では20周年事業として「20周年記念冊子」を製作する予定です。掲載可能な写真がありましたらご提供の程、重ねてお願いいたします。(返却ご希望の方は、その旨をお書き添えいただければご返却致します。)

心のこもったご寄付ありがとうございました。(2009.12.16〜2010.1.15)

橋爪由里さん 2,000円/大森真弓さん 200,000円/石坂直美さん 2,000円/伊藤史郎さん 3,000円 羽藤あゆみさん 5,000円/山崎治夫さん 2,000円/島田英子さん 2,000円/峯岸ヒロ子さん 1,000円 竹崎恵子さん 5,000円/石崎保夫さん 5,000円/石山ナナさん 2,000円/新井英一さん 10,000円
お寄せいただいたご寄付のうち、会費未納の会員からは会費(年3,000円)を差し引いて掲載させていただきました。

患者からのメッセージ
温かく感じた。「…ドナーさんの愛なんだ」 笹森ゆきの(26歳)

 今から7年前、当時大学2年生だった私は、勉強やサークル活動で充実した毎日を送っていました。そんな中、なんとなく体がだるく、寝ても疲れが取れないという状態が続くようになり、ある日40度をこえる熱が出てしまいました。近くの病院へ行って検査をした結果、白血病であるとわかったのです。
 先生から告知を受けた時、夢を見ているような気分でした。しかし、「今はいい薬ができて、白血病も治る病気になってきている」という話を聞いて、「よし、私も絶対に治る!」と前向きに治療を受ける気持ちになれました。
 その後半年間にわたる化学療法の結果、みるみる症状がよくなり、一旦は大学に戻れるほど元気になりましたが、2005年の夏に再発していることがわかったのです。その時は家族の前で大泣きしました。でもそれで少しすっきりしたら、「骨髄移植があるじゃない!」と気持ちを切り替えていきました。
 私は姉とHLA型が合っていなかったため、骨髄バンクでドナーさんを探したところ、2005年当時、私とHLA型が一致している人は、幸運なことに50人もいたのです。その中から無事にドナーさんが決まり、その年の12月に移植を受けました。
 移植の当日は不思議なことに、前日までの治療のつらい症状がすーっとなくなり、体が軽くなっていました。ドナーさんの骨髄は、夕方になってやっと病院に着きました。赤十字のボックスに入っている赤々とした輸血パックを見つけた時、「本当に私のところに来たんだ」と信じられないような思いで、涙がこみ上げてきたのを覚えています。私は輸注の間ずっと、骨髄が流れている管を握っていました。すると、その血液がほのかに温かく感じたのです。そのことを先生に伝えたら、先生は「愛だな」と言ったのです。その言葉に思わず笑ってしまいましたが、私も「本当にそうだ、ドナーさんの愛なんだ」と思いました。心がじんわり温まっていくのを感じました。
 それから約2ヶ月の入院生活を経て、私は退院することができました。また大学にも通えるようになり、2007年の秋には念願の教員採用試験にも合格することができました。新年度に向けて気持ちも新たに頑張ろうとしていた矢先、また再発しているとわかったのです。
 私は、主治医の先生とも相談して2008年の3月に2度目の骨髄移植にチャレンジすることにしました。驚いたことに前回50人ほどだった適合ドナーさんが、2年で約90人に増えていました。ドナーとなってくれたのはそのうちの2人だけですが、90人全員が私のことを応援してくれているように思えて、そのことにとても励まされました。1回目とは違うドナーさんからいただいたのですが、今回も相性がよく退院後の経過も順調で、今では非常勤で仕事を始めたり、骨髄バンクのボランティア活動にも参加したりと、とても元気に過ごしています。
 2回目のドナーさんがO型だったので、元々A型だった私もO型になりました。だからと言って性格が大きく変わったわけではないのですが、振り返ってみると、病気になる以前は、あれもこれもと休みなく動き回るような生き方をしていたけれど、移植後は自分のペースでゆっくりいけばいいじゃないか、と考えるようになった気がするのです。もしかしたら、ドナーさんが「そんなに焦らなくていいんだよ」と気づかせてくれたのかもしれません。
 また、移植後ドナーさんと手紙のやりとりができたことで、2人のドナーさんのことを身近な存在として感じられるようになりました。私にとって、その手紙は宝物です。そして2人のドナーさんのことを想う時、いつも心が温かくなります。「あなたの大切な骨髄を下さって、本当にありがとうございます」という感謝の気持ちで温かくなるのです。
 移植を経験して、私もバンクのお手伝いをしたいと思い、千葉の会の方々の協力を得て2006、2007年と大学祭で普及活動と登録会を開催しました。その後も千葉での登録会やイベントに参加したり、患者としてお話する機会があったりして、色々な場所でボランティアの方と出会うことができました。その中で、私が移植をすることができたのは、骨髄バンクを立ち上げようと奮闘した方たちや、各地のボランティアさんたちの地道な活動があったからなのだと改めて感じました。
 私は病気になってからこれまで、自分が不幸だと感じたことは一度もありません。むしろ感謝の気持ちでいっぱいなのです。移植を受けるにあたって、近くで支えてくれた家族や友人、医療関係者の方々、そして2人のドナーさん、さらにはドナーさんのご家族やバンクのボランティアをされている方まで考えると、本当に多くの方が関わって下さっていたのだと思います。
 「私は一人で生きているのではない、多くの人に支えられて生きているのだ」ということを強く感じています。その方たちへの感謝の気持ちを忘れずに、ドナーさんが分けてくれた命をこれからも大事にしていきたいです。そして、今後はボランティアも続けながら、自分自身の夢でもある、子どもに関わるお仕事をしていきたいと思っています。(神奈川県在住)

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山崎裁判控訴審第2回弁論の結果

 1月21日午前10時30分より、東京高等裁判所第808号法廷において、山崎裁判の控訴審第2回弁論が開催されました。
 既報のとおり、一審判決が原告山崎氏の地位確認を求める訴えを全面的に認める判決となったため、財団がこれを不服として控訴した裁判です。
 財団から新たに申請された証拠(証人)調べは行われず、裁判官から山崎氏の懲戒解雇の事由とされた報告書が就業規則のどの条項に該当して解雇となったのかが十分明らかにされていないとの指摘がありました。財団代理人に明らかにする文書の提出を求め、山崎氏代理人には反論があれば提出するようにとの示唆がありました。
 次回弁論日程は3月9日(火)13時30分から東京高裁第808号法廷で開催されます。次回も支援傍聴をよろしくお願いいたします。

骨髄バンク川柳

 昨年末よりメールにて募集しておりました骨髄バンク川柳の応募作品をご紹介いたします。皆様の投票により優秀作品を選出したいと思いますので、良いと思う作品3つの番号を、メールまたはFAXにてお送り下さい。
締切り 2月20日(土)

1, 移植して もう血はつながってねえとドラ息子
2, 登録会 トップバッターが来て弾みつく
3, 二人連れ そろって登録縁結び
4, キティちゃん バンクの可愛い広報レディー
5, たすきがけ 恥ずかしい人もいるらしい
6, HLA なかなか合わず気がもめる
7, 目指せ ドナー登録50万人 Yes we can !?
8, 癌センター留守番犬に築地寄る
9, リンパかい 築地のおばさんおまけする
10, ゼロ金利 骨髄バンクだけにして
11, ドナーさん今日も通勤しております
12, 登録の ドナーの顔は えびす顔
13, 登録の ドナーの背中に 礼をする
14, 列をなす  善意の方に 礼をする
15, ビデオ見せ 移植の日を 思い出す
16, 我が命 血液型が 変わりけり
17, ドナーから 提供受け 完治する
18, 無菌室 第二の命 誕生す
19, 無菌室 静かに過ぎる 誕生日
20, こんにちは 骨髄液の 恥ずピンク
21, 受け取ってと 願い届かぬ 雨の銀座
22, ドナーとは 生きてほしいと いう願い(治したい)
23, 患者とは 生きていたいと いう願い(治りたい)
24, ドナーいて 善意があって 待つ命(いつかきっと)
25, さし出す手 思いは熱く さりげなく(チクッとしますヨ)
26, ドナーへと 踏み出す一歩 その勇気(待っています)
27, 無知よりも 怖いあなたの 無関心(チラシもらってヨ)
28, 何故なんで 明日はわが身になる思い(関係ない?本当に)
29, ありがとう そのひとことに 支えられ(もう一人の私)
30, 励まされ 同じ心で 歩む道(わかっているからネ)
31, 移植して 命のバトン 夢かなう(やりたかったことが…)
32, 愛し子を 抱いてつながる さい帯血(おめでとう!)
33, ボラなんて 自己満足と 皮肉られ(好きでやってるくせに)
34, 悲しみを パワーに変えて バンクボラ(だからできるの)
35, 優しさを 残して逝った 彼の意志(永遠のヒーロー)
36, 今年こそ ヒマ金よりも ラブほしい(東京の会 事務局長)
37, 貴子さん 笑顔と元気が 希望です(患者だったの?)

東京ドナー登録会予定(2月)

2月1日(月)練馬区役所(練馬区)
2月3日(水)大田区役所(大田区)
2月3日(水)赤羽駅東口(北区)
2月4日(木)新宿区役所(新宿区)
2月14日(日)梅まつり(羽根木公園)(世田谷区)
2月18日(木)京王プラザホテル(新宿区)
2月19日(金)世田谷ビジネススクエア(世田谷区)
2月26日(金)国際ビルヂング(中央区)

◆編集者雑記◆

▼骨髄移植推進財団に対する国庫補助金の来年度予算は、今年度対比で約3%減の4億2千9百万円となりました。政権が交代し、事業仕分けで天下り法人に対する補助金が大幅にカットされる中、財団にも厚労省出身の役員がいるため、影響が懸念されましたが、結果的には大幅な削減は免れた形になっています。もっとも、これは骨髄バンクの公共性・社会的役割からすれば当然の事とも言えます。天下りの是非はともかく、骨髄バンク自体の存在意義は政権交代によって揺らぐものではありません。
▼ただ、財団にとって予定外だったのは、平成23年1月から導入を目指している非血縁者間の末梢血幹細胞移植(PBSCT)のためのシステム構築費が、厚労省の概算要求には計上されたものの、本予算ではカットされたことです。非血縁者間のPBSCTの医療保険適用についても、診療報酬全体の論議の中で、認められるかどうかは不透明なままとなっています。
▼財団が目指す来年1月の導入は微妙な情勢ですが、一方で、非血縁者間のPBSCT導入に向けた財団内部の検討は、月1回のペースで開催されている「PBSCTに関する委員会」で、具体的に進められています。その議論経過は、財団のホームページで公開(1月中旬時点では11月開催の委員会まで)されています。
▼11月の委員会では、PBSCTに家族の同意が必要かというテーマも議論されました。事務局では、骨髄と同様にPBSCTについても家族同意を必要とするという提案をしましたが、なぜ家族同意が必要なのか、考え方を再度整理し、骨髄提供における家族同意を含めて再検討すべきではないか、という意見も出されました。
▼結局、骨髄提供を含めた家族同意の再検討はこの委員会の検討範囲を超えているとして、PBSCTに限定して議論することになったようですが、この問題に限らず、PBSCTについて議論すると、骨髄提供の問題にも突き当たらざるを得ないことがあるようです。たとえば骨髄液の凍結の問題です。
▼これまで骨髄液の凍結は、善意のドナーが提供した骨髄液が、患者の容体悪化等で使われないまま廃棄されることを避けるため、前処置開始後、患者さんの容態変化で移植日を延期せざるを得ず、かつ採取日程の再調整が不可能な場合のみ認められていました。ところが緊急の対応として前処置開始前に凍結保存が実施された事例が2件発生しました。これを受けて財団は「今後の骨髄凍結の在り方について、財団の関係諮問機関で検討を進める」ことを12月の常任理事会で確認しました。
▼血縁者間のPBSCTにおいては、前処置後に予定通りの細胞数が採取できなかった場合のリスクを避けるため、前処置前の末梢血の凍結が一般的に行われています。非血縁者間のPBSCTにおいても、凍結を認めるかどうか議論になりましたが、骨髄と同様の理由から原則として認めないことになったそうです。これは末梢血は採取から日数がある程度経過しても使用できるという海外の研究成果が明らかになったことも背景にあるようです。では骨髄の場合はどうなのでしょうか。
▼他にもPBSCTの導入を巡っては様々な検討課題があります。今は財団の諮問委員会の中での議論にとどまっていますが、当事者であるドナーや患者、ボランティア、一般市民など、もっと幅広い層の意見を聴く機会も必要なのではないでしょうか。私たちも議論の行方に注目するともに、自ら考え、意見を発信していきたいと思います。 (S)

♪「2月定例会」/3月会報発送「おりおり」 のお知らせ♪

東京の会「2月定例会」のお知らせ
2月20日(土)午後5時30分より
会場:全労済東京・レインボー会館3階会議室
※新宿駅下車7分(新宿区西新宿7-20-8)
※西新宿駅下車1番出口徒歩2分
青梅街道新宿警察署きらやか銀行の角入ってすぐ右側
※3月定例会予定・3月20日(土)午後5時30分より
定例会は 毎月第3土曜日午後5時30分 から開催しています。

3月会報発送「おりおり」のお知らせ
3月6日(土)13時00分より
※開始時間が変更になりました。13時以降にお越し下さい。
場所:品川運輸・4階会議室(品川区東大井2-1-8)
JR大井町駅徒歩8分・京浜急行鮫洲駅徒歩2分
※今お読みになっている「東京の会通信」を約1000部
折って封入して発送します。簡単な誰にでも出来る作
業です。いつも人手が足りません。どうかご協力を。
※4月「おりおり」予定・4月3日(土)13時00分より

新しい方大歓迎です。お気軽においで下さい。お待ちしています。

平成21年12月末日現在 登録・適合状況

◆◆◆日本骨髄バンクの登録患者と検査済登録ドナー◆◆◆

ドナー(全国) 登録者累計 353,361人/12月登録分 2,816 人/12月抹消分 1,527人/実質登録増 1,289人
ドナー(東京) 登録者累計  51,030人/12月登録分 219人/12月抹消分 183人/実質登録増  36人
患者(全国)  登録者累計 29,002人/12月登録分 221人


◆◆◆患者とドナー登録・適合状況◆◆◆

ドナー登録受付者数(累計) 449,049人
ドナー登録抹消者数(累計) 97,002人
有効二次検査済ドナー数 351,729人( 11月2,340人増)
二次検査適合ドナー数(累計) 210,500人
実質登録患者実数(現在) 2,527人( 国内1,369人)
HLA適合患者数(累計) 23,603人( 患者累計数の81.4%)
非血縁移植実施数 11,178例( 11月実施126例)

2010年02月14日

東京の会新年挨拶
20年節目の年 原点に戻って活動を見直そう!

 東京の会の皆さん、東京の会通信読者の皆さん、全国のボランティアの皆さん、あけましておめでとうございます。
 昨年を少し振り返りますと、政権が民主党を中心とした連立政権になったことが一番大きなことでしょうか。この際に、新しい内閣に対し、歴代の内閣が行ってきた低医療費政策を根本から改めるよう要望するものです。
 昨年は全国各地で、骨髄バンクを介した移植が10,000例、さい帯血バンクを介した移植が5,000例に達した記念行事が、全国協議会を中心に各地で行われた年でありました。
 今年は、東京の会が創立20周年を迎え、骨髄バンクも創立20周年を迎えます。私はこの機会に、現・財団の体質を見直すべきであると思っています。財団内の問題とはいえ、職員を解雇することをはばからない幹部職員の非民主的な体質を変えて、民主的な体質へと変化を遂げて、本当に骨髄バンクを必要としている方々のために、ボランティア団体と力を合わせて真摯な努力を重ねていく必要があると思います。また、ボランティア団体との関係も改善が必要ではないでしょうか。
 全国のボランティアの皆さん。東京の会は、創立20周年にあたり、原点に立ち返り、今年も全力で活動してゆくとともに、一昨年より、元財団常務理事の堀之内氏よりの訴えを受けて、法廷でも全力で闘っています。昨年暮には証人尋問も終了し、今年の早いうちにも判決が予想されます。ボランティア団体の活動を守っていくためにどうしても勝たなければなりません。なにより、骨髄バンク(活動)の根幹は患者救済であり、ドナーの安全が守られなければなりません。我々ボランティアは、患者さんが望む治療法を受けることができる社会であるよう、日々活動を行ってまいります。引き続きご支援をお願いし、新年のご挨拶とさせていただきます。
2010年 元旦

公的骨髄バンクを支援する東京の会
代表 三瓶和義

【特別寄稿】白血病患者今昔物語 〜ハッピーウエディング2話〜
大谷 貴子

 新年あけましておめでとうございます。
 2010年の幕開けです。今年も箱根駅伝で一年が始まります。どれほど多くの闘病中の患者さんが、「骨髄バンク」の幟旗をテレビで見て勇気付けられることでしょう。
 私の22年前のお正月は無菌室の中でした。1月11日に行われる移植の準備が年末から始まっていました。通常の前処置は、一週間前と言われていますが、私の状態がそれではおっつかないと思われていたのか、年末から延々と抗がん剤が投与されていました。通常の抗がん剤治療と前処置との境目がわからないくらい、それはそれは厳しい毎日でした…。
 それでも、「ああ、年が明ける」「良い年になりますように」「絶対、来年のお正月は家で過ごす!」と、前向きな明るい気持ちで1988年の幕開けをベッドの上で正座をして、カウントダウンをしていたことを思い出します。
 と、そのときです! ドヤドヤドヤッと家族や友人が、酔っ払った勢いで「A HAPPY NEW YEAR !」と無菌室になだれこんできて、でも、看護師さんに見つかると怖いので、風のように去って行ったのです。暗い気持ちの中に笑い声がこだまする…きっと、今、闘病中の患者さんも暗い気持ちの中でも、テレビの中の箱根駅伝での応援メッセージは一筋の明るい光となることでしょう。
 さて、そんな時期もあった私ですが、今やすっかり元気になり、「白血病患者の今昔物語」な.んて番組があれば、きっと「あの頃は…」「あの人は今…」と表現されること間違いなしです。再発の恐怖はもちろんありますが、骨髄バンク運動のおかげで、その恐怖に押しつぶされることなく生きてきた22年でした。と、同時に、再発の恐怖どころか、私たちは生きられるのだろうかという恐怖と闘っている患者さんとのお付きあいも多い22年でしたが…今日は、新年の幕開けにふさわしい明るい話を2つご紹介します。
 一つは2009年11月22日(いい夫婦の日)にウエディングをされたダゼくん(本誌「患者からのメッセージ」参照)夫婦との出逢いです。ダゼくんは、骨髄バンクから移植を受けてまだ1年半ほどです。移植から1年ちょっとで社会復帰ができるだけでも望外の喜びですが、その上、ウエディング! ?
 治療経過が22年前に比べて格段に良くなったことも、彼の元気さにつながっていると思います。そして、それ以上、彼の「生きたい!」という強い意志なくしてはあり得なかったことだと思います。お二人へのお祝いを兼ねて、後日、5時間近くに渡って、彼を支え続けてくれた新妻とともに飲み続けました。本当に嬉しくて、嬉しくて、楽しいお酒でした。その場に、ダゼくんを助けてくださったドナーさんがいてくだされば、もっともっと盛り上がったと思います。ドナーさんに感謝、感謝のひとときでした。
 そして、もう一つの嬉しい出来事。これも、ウエディングにまつわるお話しです。10年前の1999年11月13日、一組のウエディングが挙行されました。ひな壇には、4人が並んでいます。山崎くん夫婦と私たち夫婦。ありがたいことに仲人役をさせていただきました。仲人の妻の仕事は新婦の介添えをすることです。新婦が感動の涙を流すと、すかさず、着物のたもとから、さっと真っ白なハンカチを出し、新婦にそっと差し出す…ハズでしたが、なんと、新婦より先に泣いたのは私でした!
 山崎くん夫婦は、お二人とも元白血病患者さんでした。そして、お二人とも骨髄バンクから骨髄移植を受けて、社会復帰したのです。そんな二人は、先に元気になった新郎が、闘病中の新婦を励ます形で交際が始まります。
 お二人から、「結婚をすることになり、仲人をしてほしい」と頼まれたとき、新郎との出逢いを思い起こすとまるで夢を見ている感じでした。
 新郎の山崎くんとの出逢いは発病されたばかりの頃にさかのぼります。発病を嘆き悲しむ両親の間にちょこんとうつむいて座っていた山崎くん。それはまるで小さな子供のようでした。肩が落ち、存在感がまるでない、消え入ってしまいそうな…そんな感じでした。まだ、骨髄バンクができたばかりで、彼に「移植のチャンスはありますよ」とは口が裂けても絶対言えないドナー登録数の時期です。その場の重苦しい雰囲気に、逃げ出したくなったことを覚えています。
 そんな彼が、生きるチャンスをドナーさんからいただき、健康を取り戻し、同じ闘病体験を持つ伴侶とめぐりあい、新しい家庭を築く…こんなに感動的なシーンのひな壇に立っていたら、最初から涙が止まらないのも無理はない…とは言い訳で、仲人の妻としては大失敗の巻でした。
 ウエディングの場に、それぞれを救ってくださったドナーさんがいらっしゃらないのは残念だけど、この想いをドナーさんに伝えたい、とお二人は、メディアにウエディングを公開してくださいました。その場にいらっしゃった記者さんから、昨年11月のある日、「大谷さん、あの感動の日から10年ですね」と連絡をいただき、あの日の感動は多くの方々に伝わっている!と実感しました。結婚10周年おめでとう。お二人のドナーさん、本当に本当にありがとうございます。確実に彼らは生きています!(4人のひな壇の写真をご参照ください)
 これからも白血病患者の今昔物語はどんどん受け継がれていきます。ドナーさんへの感謝とともに、それぞれを支えてくださったすべての方への感謝とともに…。

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向かって右側が筆者

心のこもったご寄付ありがとうございました。(2009.11.16〜12.15)

小山田ヤエ子さん 5,000円/荻原香織さん 3,000円/石坂直美さん 5,000円/白水 豊さん 4,000円 池田剛・裕子さん 5,000円/匿名 20,000円/匿名 48,000円/河村朝子さん 5,000円 西郷京子さん 10,000円/峯岸ヒロ子さん 1,000円/小松美穂さん 7,000円/圓福鈴美さん 1,300円 関口隆・貴子さん 10,000円/高橋秀彰さん 2,000円/中村恵美子さん 2,000円 船奥保・幸代さん 3,000円/山本美千江さん 10,000円/湯原孝行さん 3,000円
お寄せいただいたご寄付のうち、会費未納の会員からは会費(年3,000円)を差し引いて掲載させていただきました。

東京の会裁判 山場の証人尋問

 東京の会裁判もいよいよ大詰めを迎え、昨年12月7日10時30分から東京地方裁判所第721号法廷において証拠調べ(当事者、証人尋問)が行われました。午前中は原告本人、午後は東京の会会報当該記事の執筆者、遠藤允氏と野村正満氏が証言台に立ちました。
 証人尋問は、証人の「嘘は言わない」との宣誓から始まります。原告側証人に対しては原告代理人(弁護士)が先に尋問し、次いで被告側代理人〔弁護士〕の反対尋問が行われます。被告側証人への尋問はその逆の順序になります。
 真実のみを述べる宣誓はされるのですが、実際には、答えにくいことには「記憶にありません」とか「個人のプライバシーにかかわるのでお答えできません」のような回答が多用されます。そのような答えに対して、いろいろな方向から質問を繰り返して真実を引き出していくのが質問する弁護士さんの「腕の見せ所」のようです。
 最後に、裁判官が質問して証人尋問は終わります。以下の各証人の証言の要点は、速記録でなく、いくつかの質問に対する証言をまとめたものです。
 次回の弁論日程は未定です。

○原告証言の要点
 (訴訟を起こした経緯)
 東京の会会報記事により個人的攻撃を受け、名誉を損なわれ、精神的苦痛と恐怖心を感じている。ウェブサイトに記事が掲載されていることは苦痛である。ボランティア団体を訴える考えはなかった。ボランティアは善意だからである。しかし、扇動団体とボランティアの一部幹部はボランティアといえない。ボランティアと称する一部幹部が財団(骨髄バンク)に出入りし、職員が迷惑していた。自分は見張られていた。

 (新聞記事と国会質問)
 自分は公務員としてなんら処分を受けたことはなく、新聞記事は事実でない。編集者雑記筆者から何の問い合わせも受けたことはなかった。衆議院予算委員会の質疑が載せられた議事録の発行は6 ヶ月後だが、議事録ウェブサイトは毎日見ていた。

 (職務怠慢との指摘について)
 遠藤氏の投稿記事については個人的(感情)なものを感じた。怠慢を指摘されているが思い当たることはない。患者負担金軽減について関係先への働きかけを適切に行ったし、職員に対して挨拶、対話も必要に応じて行っていた。新宿の街頭登録会には職員の連絡に従い定刻どおり出向いており遅れていない。たすきはきちんと身につけ、恥ずかしいからとの理由で外したりしていない。健康問題について触れられ、誠に驚いた。病欠したために業務に停滞や遅れが生じたことは全くない。

 (セクハラ・パワハラ行為について)
 山崎裁判判決で外部調査報告書がハラスメントと疑われても仕方がない事実があったと指摘されているが、そのような事実はない。山崎報告書は山崎元職員の自己保身のために作成されたものである。K庁時代のハラスメントに関することは捏造されたものである。財団はハラスメント対策を行うよう労働局の指導を受けているが、具体策を講じることに関しては関与していない。


○遠藤允氏の証言の要点
 (ユニオン結成の経緯)
 労働組合の立ち上げは、財団職員の待遇が公務員に準ずるとされているのに低かったため、改善を求めることが目的だった。職員の退職が多発していた。

 (前常務理事時代の患者負担低減と登録者の増加について)
 負担金の軽減、保険適用の拡大による患者負担軽減活動は原告着任前の2005年の方が活発だった。2006年から7年にかけて登録者が増えたのは、それまでの財団職員の努力、支援ボランティアの努力の成果であり、原告の功績とは思わない。

 (投稿記事を書いた動機)
 訴えを受けた投稿記事を書いたのは、財団の運営に改善の必要を感じていたからである。投稿をすすめられたわけではない。記事が誹謗中傷に当るとは考えていない。

 (自分の雇い止めについて)
 2006年6月に雇い止めを受けたが、常勤的臨時職員は定年までは更新されるのが前例となっていた。更新契約の際に更新打ち切りの文言に気づくのが遅れた。理事長に更新をお願いしたが取り合ってもらえなかった。


○野村正満氏の証言要点
 (骨髄バンク発足に果たしたボランティアの役割)
 1991年12月に発足した骨髄バンクは人手が不足し、業務習熟も不足しており、ボランティアが多数参加して補っていた。しかし、ボランティアがバンクを支配するようなことはなかった。

 (財団常務理事の出自)
 常務理事職位は歴代厚生労働省出身者が就いてきた。しかし、いわゆるノン・キャリといわれる方だった。前常務理事が就任されるに当り、給与増額が必要となったが厚生労働省との関係が円滑化されるとの期待が高まった。就任後しばらくして、前常務理事は骨髄バンクには不相応しくないと感じるようになった。職員の半数が短時日のうちに退職し、骨髄バンクの職場が安定性がなくなり、職務への習熟が懸念されるようになったからである。

 (阿部議員の国会質問と新聞記事について)
 財団についての質問は、インターネットによる議事録公開で知った。K庁時代の問題は、毎日新聞の知人を通して確認することができた。しかし、議員の質問が匿名だったので、編集者雑記の記事も匿名とした。

 (前常務理事の財団退職について)
 前常務理事の退職について、山崎裁判における、財団事務局長が証人尋問で、辞めさせられることになったなと感じたとの感想を証言されたのを聞いて、当時の財団内部での雰囲気が理解できた。

 (編集者雑記筆者の氏名を公表しなかった理由)
 編集者雑記については氏名を公表しないで来たが、それによって節度のない記事を書かれたということはない。会報記事に対しては会として責任を持つというのが公表しなかった理由である。 (新田恭平)

サンクト・フローリアンの三人をお呼びして
NPO法人骨髄バンクサポート新潟 小林昌美

 11月11日、当法人の1周年記念事業として、サンクト・フローリアンの三人をお呼びし、チャリティーコンサートを開催させて頂きました。東京の会の若木さんよりお話を受け、理事会にかけGOサインが出てから、事務局としては、市役所や各企業・団体へ後援のお願いにあがり、会場選びや日程、コンビニやスーパー等へポスター掲示のお願い、チケット販売等、当日を迎えるまで気を抜く事が出来ませんでした。平日の夕方という悪条件の中、理事を初め、会員さん達は本当に頑張ってチケットを売ってくれました。
 ハプニングもありました。開催前日に、司会をしてくれる予定だった事務局長が、息子さんのインフルエンザのため参加出来ない事になり、急きょ私がやる事になりました。
 当日は、朝から雨降りでますます不安がよぎりましたが、サンクト・フローリアンの方達にお会いし、真剣にリハーサルをしている姿を拝見している内に、「来て頂いた方達にゆっくりと聞いてもらえる時間になればいいんだ」と、何だか落ち着いてきました。開演の時刻になり、演奏前に、残念ながら亡くなってしまった患者さんに対し黙祷をしました。心地よい演奏に会場全体が引き込まれていき、最後の曲が終わり、花束をお渡しした後のアンコール曲がまた素晴らしく、涙ぐんでいる方もいました。感動感激の2時間でした。
 打ち上げの時に三戸さんから、黙祷は会場がピンと引き締まった様で良かったと言って貰えました。後日知っている方に感想を聞くと、本格的な演奏が聴けたことを大変喜ばれていました。
 発足して1年、沢山の方に助けてもらいながら頑張ってきました。これからも骨髄バンクの普及啓発に励み、1人でも多くの方の命が救われる事を願っています。

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~voice~ こころをつなぐ
ヒーロー(後編) 井上くるみ

 今回の「Voice.心の声」は、12月号に引き続き、井上くるみさんの文章を掲載致します。愛する人の発病から10年の時を経て見えたもの、感じたもの、悟ったことを書いて下さったものです。(編集部)

●2006年6月 〈移植、そして退院〉
 本人には人生初の入院生活。「くるみさんは僕が入院してたほうが安心なんだよね?だからここは我慢するよ」。入院したのは私の為だと言わんばかりの態度でしたが、インターンの先生を捕まえてDSで英語のテストを出したり、移植前の結構辛い検査中でもスタッフにユーモアを振りまき、看護師さんにニックネームを命名して食事の栄養バランスのアドバイスをしたりと、無菌室にはいつも明るい笑いが絶えませんでした。
 私も毎日仕事終わりに病院に行き、二人でその日の彼の血液データをレビューし、回診にいらした先生にコアな質問をして治療内容や薬の作用を勉強しました。
 彼は予想どおり、クールに黙々と前処置のプロシージャーをこなし、放射線室から毎日元気に(相当無理していたと思いますが)胸を張って歩いて帰ってきました。キロサイド集中投与の後半は40度近い高熱が続いていたのに「よっしゃー!今夜もいっちょやったるか!」と言っては闘病記録用に使っているカメラに向かって弱弱しいピースサインを送っていました。
 最悪のひとつは、高熱を出しながらもキロサイドが粘膜に滲出するのをうがいで洗う作業と目薬を一晩に何十回も行う事でした。熱と睡魔で意識は朦朧とし、始終上を向くので首の後ろに炎症が起きます。見ている私には大変きつい姿で、外来待合室へ抜け出して泣いてはいたけれど、彼の前では何だか泣けませんでした。それは、弱音を吐かず、辛さを語らず、いつも笑顔で家族や周りのすべての人々に心を尽くし、感謝を送っている彼が誇りだったからです。
 普通の人が経験できない白血病(癌)という恐怖、一番傍にいる私も届かない境地にいるのに、4か月だった移植入院生活のあいだ「ありがと、さんきゅうなっ!」毎日の感謝の言葉と一緒に「大丈夫か?お嬢さん。また泣いたりしてたんじゃないの.?」どっちが入院しているのか分からない様な立場の逆転でした。そして、数か月間もの間、万全を期して、骨髄提供に挑んでくれた妹さんの骨髄は、7月半ばに彼の身体の中で息づき始め、免疫抑制剤の副作用やGVHD、心膜炎などヘビーなフルコースを消化?して、無事に9月初旬の退院となりました。
 「約束どおり、秋までに退院してくれてありがとね。第二の人生をおめでとう!」今日まで忘れてしまっていましたが、退院の日の夜に私が送ったメールにはそう書かれておりました。

●2006年11月 〈再発と闘う〉
 10月の下旬には、実家のご両親のサポートを受けながらの懸命なリハビリのおかげもあり、アメリカから一時帰国した友人と、新宿のホテルで待ち合わせてお茶が出来るようになっていました。入院中に撮影した数百枚の写真を編集して自ら作ったコメント入りのアルバムを使って、移植のend to endを説きながら人間の細胞が如何に神秘的に機能していくかを熱く語っていました。
 最後に友人は、癌患者でありながら奇跡の生還を果たした後にツール・ド・フランスで7連覇を遂げたランス・アームストロングの話を引用しつつ、今が正念場なのだから粘り強く勇気を持って生き抜いて欲しいと言ってくれました。「そうだね。どうやら本気で闘病しなくちゃって思い始めたよ」いつものようにクールにそう答えてましたが、アームストロングの健闘に関してはコメントを示しませんでした。
 退院後初めて友人と会うという機会に、気持ちは高揚していたけれど、顔色は悪くて駐車場まで歩く時の足の運びがぎこちなかったのを覚えています。その日あたりから、身体が痛くて夜は眠ることができなくなり、彼の病状は少しずつ影をおびて行きました。
 11月7日、本人から「朝から熱を出してしまった、8.7。久々につらっ!冷えピタ中。」というメールが来ました。私は父上に電話で「クリティカルかも知れないのですぐ先生に連絡して病院へ行ってください」とお願いをしました。同日の午後何時ごろだったか、父上から電話が入りました。「やはり再発しておりました…このまま入院するので着替えを持って来てやってください。」
 私はすぐに仕事を抜けて甲州街道を新宿方面へと車を走らせました。こんな時は気持ちが少しでも晴れるよう、新しいパジャマを買ってあげなきゃ、そう思ってハンドルを握っていたのに、嗚咽が後からあとからこみ上げて来て体中が震えました。涙で前が見えなくなり、笹塚で脇道に車を停めて子供の時の様に大声で泣きました。泣いているうちに日も暮れてしまい、何も持たずに病院に向かう事にしました。
 病室に入ると、彼はベットに横たわったまま私を見て微笑みました。手を握ると身体を起こして、再発の診断時に受けた先生からの話を細かく説明してくれました。「ごめんな、約束果たせなくて」何の事かというと、必ず根治してずっと一緒にいるという約束であったことを思い出し、根治を目指すよりも今後は癌と向き合って共存する人生を選べば良い事、来年には新薬が登場するかも知れない事、だから白血病へのより深い知識を持って二人で一緒に勇気を持って生きよう、と伝えました。彼は泣いていました。そして私の頭を撫でて「あなたは強い人だ」と言いました。でもそれは本当は逆で、私が強くなれたのは彼が側にいてくれたからだと思います。

●2006年11月8日 〈急変〉
 翌朝7時ごろ、父上から「病院から急変の知らせが来まして、すぐに向かうのでお願いします」と連絡を受けました。先生からの説明はとても厳しい現実でした。手の尽くし様がないとは、ああいうことを言うのでしょうか。移植後間もない彼の身体では再発し浸潤してゆく白血病細胞を食い止める事が出来ず、肺水腫という診断でした。呼吸が出来なくなる苦しみそのものを取り除く事は出来ないが、薬で意識を低下させるので本人はうつらうつらしているような状態になるとの事。
 私はその説明の意味を明確に理解できてはいたものの、足が地に着かない状態でずっとずっと悪い夢の中にいるようでした。これから起きようとしている現実を実感できなくて、というよりも、全ての感情を失ってしまったかのように涙も出ませんでした。(周りの人はそんな私を「気丈な人だ」と感じたでしょうか)
 彼に会いに行くと、酸素マスクをしたまま嬉しそうに笑いました。「あれ?こんなに早くから来てくれたの?」私はとっさに、仕事が一段落したので今週は休みを取ってずっと側にいると伝えました。「嬉しいなぁ、じゃぁ早速サンドイッチでも?」たぶん食べ物はもう喉を通らないのに、普段通りに振舞おうとしていました。酸素出力は最大で、それでも上体を起こしていないと息が辛そうでしたが、「数日我慢したら楽になっていくからね」と見舞いに来てくださった方々に話していました。
 最後の日の朝、確か先生は「今から薬を使いますね、今夜が峠です」というような表現をされたような気がします。そのまま彼の傍らに行って手を握ると、彼が私に言いました「くるみさんは僕の鏡だから」。その時ははっきり意味が分からなかったけれど、こう思う事にしました。人の心に働く「鏡」というものの作用は計り知れない程あると思います。相手と同じものを見る、相手を互いに愛する、相手に自分の裏側を映す、この彼からのメッセージが私には具体的な言葉を沢山もらうよりも宝物になりました。そして夕刻6時ごろ、力を振り絞ったように私に言いました。「悪いけど今日はくるみさんの相手をしてあげらんない。ちょっときついわ。これ乗り切れば月曜に回復してるから。こんなの前も何度もあったしね。だから今日はもう電気消して帰って?」
 ずーっと彼は、このクールな態度を崩そうとしませんでした。最後まで勇敢で、何が何でも生き抜こうとした姿はあまりにも「あっぱれ」で、周囲の人々を驚かせました。「そうなの?じゃあ今日は帰るね、お休みね?」私はそう言って病室を出、家族が待機するロビーに向かいました。意識がある彼と交わした最期の会話になってしまったけれど、彼はそうしておきたかったのだと思います。

●2009年11月
 あの日から三回目のこの季節がやってきました。秋空の少しひんやりとした、すがすがしく澄んだ空気の中で空を見上げて深呼吸をすると、40歳を目前にして逝ってしまった彼が今も隣りで笑っているような気がします。急成長するIT業界の最先端にいる外資系企業で半生を生き、アジアの諸地域と共同で開発した最新のテクノロジーを通じて、人々の生活をさらに良い未来へ導けると信じた仕事に、最後の瞬間まで復帰する意欲を失くしませんでした。文字どおり命を賭けて果敢に病気と戦った彼の最期は、私の永遠の「ヒーロー」です。 (おわり)

患者からのメッセージ
夢を持ち、未来を思い浮かべ突き進めれば… 荒井 善正

 はじめまして、荒井Daze善正と言います。私はスノーボードブランド数社からスポンサードされるスノーボードライダーです。病気を発症したのは2006年頃。徐々に体調が崩れているのに気がついていましたが、スノーボードは順調でスポンサーもつき、雑誌やDVDでも取上げられ始めた頃だったので、騙し騙し滑り続けていました。そんなある日突然気を失ってしまったのです。
 救急車で運ばれた病院では原因がわからず、幾つも病院を渡り歩き、4番目の病院で病名が「慢性活動性EBウィルス感染症」だとわかりました。症例が少ない難病で、確立された治療法も無く当時通っていた病院ではなす術がありませんでした。
 しかし、どうしてもスノーボーダーとして復帰したい気持ちが強く、病気を何としても克服したいと思い続けました。そして、この病気を研究している先生をインターネットで見つけることが出来ました。その先生は骨髄移植をすれば治る可能性があると言ってくれました。治るなら是非受けたいと相談すると、まずはドナーが必要だと言われ、兄に検査を受けてもらう事になりました。これでもう私は兄の骨髄を移植して助かるものだと思いました。ところが兄とHLAは一致せず、その時は本当にショックでした。「このまま骨髄移植にチャレンジする事も出来ずに死ぬ」「スノーボードも中途半端だ」「結婚を約束した恋人はどうしたらいい?」それが現実になろうとしていたのです。
 そんな時に、先生の紹介で初めて骨髄バンクに出逢いました。骨髄バンクなら30万人のドナー登録者の中から自分のHLAと一致したドナーが見つかるかも知れない。骨髄バンクのお陰でチャレンジ出来る可能性が生まれたのです。まだドナーが見つかっていた訳ではないけれど、バンクの存在はとても心強かったです。それから約半年、大量の抗癌剤の治療などをしながら待ち、フルマッチではないけれど提供してくれるドナーさんが現れました。本当に嬉しかったです。
 でもこれはやっとスタート地点に立てただけ。それからが本当の闘いでした。前処置として行なう大量抗癌剤治療や放射線の全身照射は本当に辛く、骨髄移植をした後一ヶ月半も本当に苦しいものでした。でもその苦しい闘病生活を支えてくれたのは、スノーボードライダーとして現役復帰する目標と、たくさんの仲間、一番近くで支えてくれた恋人でした。さらに、健康な身体に全身麻酔をかけて骨髄を提供してくれるドナーさんの気持ちを考えれば死ぬわけにはいかない、そう思うと、とても前向きになれて、辛い闘病生活を乗り越えることが出来ました。そして、移植後半年で雪山に立ち、スノーボーダーとして紙面にも復帰することが出来ました。
 今は闘病中に思い描いていた夢を全て実現していっている感じです。骨髄移植をして一年半が経ち、身体はスッカリ快調で、闘病をまとめた手記「NOSNOWBOARDING NO LIFE.スノーボードがくれた命.」も出版させてもらえました。そして11月22日には、闘病を支えてくれた恋人と結婚し、晴れて夫婦になることが出来ました。今は本当に生きている幸せを感じています。これも全て、ドナーさんが生きるチャンスをくれたおかげです。本当に感謝です。この感謝の気持ちをドナーさんに直接伝えたい気持ちは山々ですが、それは規則で出来ません。そこで私は、骨髄移植推進財団の説明員になって次に伝えていくことにしました。今ではこの生きる喜びを、骨髄移植推進財団での「かたりべ事業」で講師として、全国の学校に行きお話させていただいています。
 この活動を通じて、骨髄バンク設立に尽力し、自身も骨髄移植体験者の大谷貴子さんにお逢いする事も出来ました。家族とHLAが一致せず、このままでは死を待つのみだった私に、生きるチャンスを与えてくれた骨髄バンクを創ってくれた一人。その大谷さんに、初めてお逢いした時に思わず口から出た言葉は、「二十年前に骨髄バンクを創ってくれたおかげで命を救われました。ありがとうございました。」本当に感謝の気持ちでいっぱいでした。今では一緒に講演を行ったりもしています。
 写真はこの間、私と嫁と大谷さんで、築地のお寿司屋さんで食事した日のモノです。こんな事ってほんの一年半前には夢の様な話だったけれど、今それが実現しています。夢を持ち、未来を思い浮かべ突き進めばそれはいつか実現する。今ではそう確信しました。本当に生きるチャンスをありがとうございました!

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右から著者、大谷さん、奥様

◆編集者雑記◆

▼2009年12月7日、本紙で報告のとおり、東京の会裁判において原告堀之内敬氏と被告遠藤允さん、野村正満さんに対する証人尋問がおこなわれました。裁判官3人の前に据えられた証言台に証人として座り、原告・被告の弁護士がそれぞれに尋問をおこないます。堀之内敬氏の弁護士が最初に行った質問「今回の裁判を提訴した理由は」に対し「組織人(自分のこと)に対し、個人的怨念で誹謗中傷の記事を会報に掲載している。その会報がウェブサイトへアップされインターネットという一般閲覧可能なメディアに掲載された。これは個人的攻撃で著しく名誉を損害しているので早急に削除してほしい。」
▼「ボランティア団体を提訴するのは挑発と受け取られないか。」の質問へは、「編集者雑記の筆者と遠藤允氏を訴えるつもりだったが、筆者を教えられないと言われたためしかたなく団体を提訴した。ボランティアをおこなう団体を敵視するつもりはない。」と答えました。
▼しかし訴状では明確に、「公的骨髄バンクを支援する東京の会 代表 三瓶和義」宛てに名誉棄損で1,000万円の損害賠償請求を求めているのです。発端はまさにボランティア団体への挑発です。
▼その後の本人の証言では、「会報に掲載のあった新聞記事はすべてでたらめで、環境庁出向時代に上司からの叱責やけん責等の処分は一切受けていない。当時この新聞記事に反論をしようとしたが、公務員という立場で裁判など起こすなと上司より強く言われたので反論することは断念した。記事になったこと自体、組織的な不正を暴こうとした自分の行動に対する報復だと感じている。」と語っています。また、「財団の常務理事時代には、患者負担金の引き下げを強く働きかけるなど財団の業務には大変貢献したと自負している。職員に対しセクハラ・パワハラをおこなった事実はなく、外部調査報告でもそのような事実はなかったと報告された」とも言っています。
▼しかし当時「外部調査においても、そのような事実は全くなかった」と公式発表した財団に対し、外部調査を担当した弁護士は、事実と異なるとして調査費用を財団に返したと言われています。
▼また、山崎裕一氏が解雇に対する労働契約上の地位確保を求めた裁判では、山崎氏の主張が裁判官に認められ、いわゆる山崎報告書は根幹的、基本的部分では真実を指摘し、個人に対する誹謗中傷文書ではない、との判決が出ていることはすでに報告のとおりです。堀之内氏は今回の証人尋問で裁判官の前で、自分の行動はすべて正しく適正な業務をおこなったと主張し、山崎報告書は本人の保身のための虚偽の羅列であり事実ではない、と証言しているのです。判決に対してまったく反対の主張を繰り広げているのです。本人は今後もこの主張を続けるのでしょうか。
▼その後、東京の会の担当弁護士宮田先生が、財団退職後の去就について尋ねたところ、私立大学の講師として教鞭を振るったこと、学校での授業等は生徒からの評判も大変良かったこと、この学校への就職活動はすべて自分自身で取り組み、いわゆる天下り・斡旋や紹介などでは断じてないこと、財団退職の前年12月頃より就職先を探し始めていたこと、2009年9月にすでに私立大学は退職しているが本提訴とは全く関係がないこと、などと証言しました。
▼遠藤さんの証人尋問の時に、原告の弁護士は、証人台に座る遠藤さんに対し、その座席の目の前に出て、腕を組んで顔を突き出し、威嚇するような態度で尋問を繰り返しました。証言台からは相当の威圧感を感じたのではないでしょうか。ただでさえ初めての証言台に立つ被告に対して高圧的な態度だったと思うのは、筆者だけでしょうか。理不尽にも一方的に起こされた裁判の証言台に立つという思ってもいない苦痛な体験をされた遠藤さん、野村さん、本当にご苦労様でした。この理不尽な訴えに対し、今後も東京の会は立ち向かってまいります。 (A)

♪「1月定例会」/2月会報発送「おりおり」 のお知らせ♪

東京の会「1月定例会」のお知らせ

1月16日(土)午後5時30分より
会場:全労済東京・レインボー会館3階会議室
※新宿駅下車7分(新宿区西新宿7-20-8)
※西新宿駅下車1番出口徒歩2分
青梅街道新宿警察署きらやか銀行の角入ってすぐ右側
※2月定例会予定・2月20日(土)午後5時30分より
定例会は 毎月第3土曜日午後5時30分 から開催しています。


2月会報発送「おりおり」のお知らせ

2月6日(土)13時00分より
※13時以降に入室するよう、お越し下さい。
場所:品川運輸・4階会議室(品川区東大井2-1-8)
JR大井町駅徒歩8分・京浜急行鮫洲駅徒歩2分
※今お読みになっている「東京の会通信」を約1000部
折って封入して発送します。簡単な誰にでも出来る作
業です。いつも人手が足りません。どうかご協力を。
※3月「おりおり」予定・3月6日(土)13時00分より

新しい方大歓迎です。お気軽においで下さい。お待ちしています。

平成21年11月末日現在 登録・適合状況

◆◆◆日本骨髄バンクの登録患者と検査済登録ドナー◆◆◆

ドナー(全国) 登録者累計 352,047人/11月登録分 3,110 人/11月抹消分 811人/実質登録増 2,287人
ドナー(東京) 登録者累計  50,993人/11月登録分 320人/11月抹消分  94人/実質登録増 175人
患者(全国)  登録者累計 29,002人/11月登録分 226人


◆◆◆患者とドナー登録・適合状況◆◆◆

ドナー登録受付者数(累計) 449,049人
ドナー登録抹消者数(累計) 97,002人
有効二次検査済ドナー数 351,729人( 11月2,340人増)
二次検査適合ドナー数(累計) 210,500人
実質登録患者実数(現在) 2,527人( 国内1,369人)
HLA適合患者数(累計) 23,603人( 患者累計数の81.4%)
非血縁移植実施数 11,178例( 11月実施126例)

今年も心に響いた
サンクトフローリアンコンサート

●サンクトフローリアン ピアノ三重奏の夕べ
 サンクトフローリアンのお三方による今年の演奏会は、11月13日新宿角筈区民ホールで開催されました。生憎の冷たい雨がふりしきる悪天候で、そういえばこの日は13日の金曜日だと思いつつ会場に向かいました。
 しかし、演奏が始まってみればそんな懸念はどこへやら、ベートーベン、コープランドそしてシューベルトの曲の熱演に生きていることの素晴らしさを改めて感じさせていただきました。アンコールはいつもの「からたちの花」、これを聞くといつも涙が流れてきて困ります。
 ヴァイオリンの三戸さんのお話では、このチャリティコンサートも18年目になるとのこと、今回も幕間には中谷さんの司会によるミニシンポジウムが開催され、患者、ドナーのお二人が時にはユーモアをまじえたお話をしてくださり思わず笑みがこぼれました。
 会場入り口には、昨年に引き続いて千葉の中澤さんが届けてくださった素晴らしいバラが展示され、観客の皆さんが次々と買ってくださったのもうれしい眺めでした。観客数はあの雨の中140名に達したとのこと、本当にありがたいことでした。
 この演奏会がこれだけ長い年月を休むことなく続けられてきたのは、演奏のお三方の熱意が第一、そして、同時に東京の会のみんなの思いがこめられてこそと実感しています。サンクトフローリアンの皆さん、そして準備と実施に努めていただいた東京の会の皆さん、本当にありがとうございました。 (及川耕造)

●高層ビルの昼休み
「ピアノ三重奏の夕べ」の演奏会当日は、こちらも恒例、新宿で「昼休みチャリティーコンサート」を開催しました。
 新宿モノリスビル1階アトリウムを特別の取り計らいでお借りし、オフィスのサラリーマンに憩いのひと時を提供し、骨髄バンクの普及啓発もおこないました。サンクトフローリアンの三戸素子さんが、これまでの骨髄バンクとのつながり(親友が骨髄移植後亡くなった)を説明するとともに、骨髄提供への協力を訴えました。曲の最後は「からたちの花」が演奏され、100枚のプログラムをすべて配布してコンサートは終了しました。
 来年もまた、新宿都庁のすぐ横で、素晴らしい演奏を奏でることができるよう東京の会はがんばります!(若木換)
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骨髄バンクチャリティー麻雀大会

 11月3日(文化の日)、山口明大さん(元患者)が主催する、骨髄バンクチャリティー麻雀大会が、銀座通りに面したカルチャーセンター柳で開催されました。6回目を迎えた今大会には、60名が参加し、バンクPR&チャリティー競技麻雀で楽しい一日でした。
 過去この大会に参加し、ドナー登録をした高柳さんから投稿いただきましたのでご紹介します。
 ちなみに東京の会事務局長は、60名中58位の成績でした。残念。

■麻雀を通して得たもの、変わったこと 高柳 真也
 私には学生時代に秘かに思いを寄せている女性がいて、その人にこんなことを言われました。「高柳君って麻雀やらなければいい人なのにね。」
 その言葉はトラウマになり、私は麻雀をやることを隠すようになります。
 時は過ぎ、5年前のある日、一人のプロ雀士と出会います。まだトラウマを払拭できていない私は、そんな麻雀を職業としている人に興味がわきました。そして対局し、あっさり負けたわけです。負けたのですがその方の人柄にほれ込み、いつかそのプロに勝ちたいという一心でいろいろな大会に参加するようになりました。
 そんな中に3年前に蒲田で開催された第二回骨髄バンクチャリティー大会がありました。最初の動機はチャリティー精神というよりはプロとの対局だったわけです。でも参加して驚きました。主催された山口明大プロは麻雀での社会貢献を世間に広めるために活動しているというのです。まったく結びつかないと思っていた事に本気で取り組んでいる人をみて、私のトラウマが癒されていきました。「あっ、麻雀やってるってことは隠さなくていいんだな。」
 それからはますます積極的に参加し、麻雀を通して多くの友人もできました。
 私に真剣に麻雀に取り組むきっかけを与えてくれたプロ、後ろめたい事と感じなくていいんだと教えてくれたチャリティー大会に協力をしたい。そんな思いから10月に群馬でのチャリティー大会を開催しました。山口プロがこの大会を始めた動機が「自分を支えてくれた麻雀に恩返しがしたい」という事だとしたら、私は「その大会を始めてくれた山口プロのお手伝いがしたい。」との思いからです。おそらく5年前のプロとの出会いがなければ山口プロとも出会っていなかったわけで、群馬でチャリティー大会を開催することもなかったと思います。そうした不思議な人のめぐり合わせをこれからも大切にしていきたいと思います。
 でもここで患者さんやボランティア活動を熱心にされている皆さんに謝らなければならないのかも知れません。私は普段からチャリティーや社会奉仕を特別意識しているわけではありません。骨髄バンクにドナー登録したのもごく最近のことです。
 私のように普段は麻雀しか楽しみがないような者でも、協力ができるということを知っていただきたいのです。
 ドナー登録をためらっている方のなかには、普段の生活から管理されるのかも知れないと不安に思ってる方もいるかも知れません。また私が友人にドナー登録をしたことを話すとたいていの人は脊髄と骨髄を混同していて移植が危険な事のように言われます。こういった不安や誤解を取り除くには、身近な人の話が一番だと思います。今回のチャリティー大会に参加された皆さん、またこれを読んでいただいている方が、それぞれ「身近な人」になってくだされば、少しはお役に立ったとこれからの私自身の励みになりうれしく思います。

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心のこもったご寄付ありがとうございました。(2009.10.16〜11.15)

西河内 靖泰さん 3,000円/和泉屋 正敏さん 3,000円/南川 英則さん 3,000円/中川 里枝子さん 2,000円 八戸 信昭さん 1,000円/岸 康彦さん 20,000円/堀 雅子さん 20,000円/三戸さん母上 10,000円 松下博英・倫子さん 5,000円/鈴木 陽子さん 2,000円/浜田 祐子さん 3,000円/高木 和子さん 2,000円 二見 茂男さん 1,000円/中谷 光子さん 3,000円/出沢 その子さん 1,000円/吉村 孝江さん 1,000円
お寄せいただいたご寄付のうち、会費未納の会員からは会費(年3,000円)を差し引いて掲載させていただきました。

地元、ひまわりバザーに参加して

 11月22日、三鷹大屋根広場にて《ひまわりバザー》が開催されました。あいにく当日の朝は小雨がパラつき、客足が心配されましたが、開始30分前には雨も止み入場待ちの長蛇の列が出来ていました。
 東京の会は、三瓶代表の生まれ故郷、北海道滝上町名物の『月のチーズ』を販売しました。雨は止んだとはいえ気温は上がらず、季節外れの寒さの中、震えながらチーズを販売しましたが、完売とはいきませんでした。我々の参加の意義を理解して下さる方々が購入をしてくれました。
 三鷹で生まれ育った私には、三鷹在住の東京の会代表でひまわりの会理事長の三瓶さんとの繋がりはもちろんの事、家族会代表とも偶然にも旧知の仲という、実に関わり深いイベントです。私の知人も東村山から足を伸ばし参加してくれ、イベントの素晴らしさに感嘆しておりました。
 その後の打ち上げに東京の会の保居君と参加しました。参加者の中におられた看護師さんと話す機会があったのですが、骨髄移植の認知度の低さを痛感し驚きました。今回の参加は自分の地元のイベントでとても楽しかったですが、これからもっともっと血液難病治療への関心を高めるため、草の根運動の必要性を感じさせられたイベントでした。 (仲本剛朗)

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来年も箱根駅伝で活動開始

 早いもので、もう12月となり新しい年の幕開けが近づいてきました。
 お正月といえば箱根駅伝、今回も全国骨髄バンク推進連絡協議会の主催で、沿道における骨髄バンクPR活動を行います。2001年、たった2人で始めたこの活動も、箱根駅伝主催者である関東学生陸上競技連盟の協力の下、各大学・学生・企業の方たちの多大なる協力を得て、今回で10年目を迎えることになりました。
 東京の会では、毎年東京・田町駅周辺と、箱根宮ノ下を中心に、ボランティアの仲間が骨髄バンクののぼりを掲げています。お正月、こたつに入りながらテレビで箱根駅伝を見て、骨髄バンクののぼりを探してみるのもいいですが、沿道で目の前を走り抜ける選手を応援しながら、骨髄バンクのPRをするのもまた格別です。
 興味を持たれた方、今年こそはと思っている方、ぜひ東京の会までご連絡ください。

東京の会は下記の場所で箱根駅伝を応援します。
・田町駅国道15号線の沿道
 往路1月2日(土)7:30頃集合
 復路  3日(日)12:00頃集合
・箱根町 宮の下沿道
 往路1月2日(土)12:00頃集合
 復路  3日(日)8:00頃集合
詳しくは、東京の会へメールでお問い合わせください。ホームページでも告知中。

山崎裁判一審判決を不服として財団が控訴

 (財)骨髄移植推進財団を解雇された元同財団職員山崎裕一氏が地位確認などを求めていた訴訟について東京地裁で出された判決は、ほぼ山崎氏の主張が全面的に認められる結果となりましたが、これを納得できないとして財団は間髪をいれず控訴手続きを行いました。その第1回口頭弁論が去る11月10日東京高等裁判所第808号法廷で行われました。
 控訴審の審理は書面審査が主となり、傍聴者には審理の中身が分かりにくい面があるのですが、財団の前常務理事の証言が一審の準備書面に新証拠書面として追加されたとのことです。裁判官から山崎氏側に若干の質問もあり、次回口頭弁論までに対処することになります。本件の問題点についての関連記事が週刊朝日10月23日号に掲載されています。ご参照ください。
 次回は2010年1月21日午前10時30分東京高裁808号法廷で行われる予定。

ボランティア再開記念日
「東京モーターショー 登録会」

 10月24日から11月4日にかけて、千葉県幕張において開催された“東京モーターショー” 会場にて恒例になった献血と骨髄バンクドナー登録会が主催者および千葉県血液センターのご協力のもと開催されました。私は、そのうち25、27、29日をお手伝いさせていただきました。久し振りに大声を張り上げての骨髄バンク活動に心身ともに満たされた3日間でした。
 3年前から始まった遠距離介護生活で、月の大半を故郷の因島で過ごすこととなり、以来ボランティア活動はほぼ休止状態となりました。そのうえ、説明員認定制度ができる以前より説明員をしていた私は、実は今年の夏まで説明員の資格を得ていなかったのです。介護生活にも慣れ、ほんの少し心に余裕と社会活動への渇望心が芽生え、今年春から仕事とボランティアを少しずつ再開することとしました。
 そこで、まずは骨髄バンクドナー登録の説明員の資格取得をと、東京の会の中谷様より研修を受け説明員の資格を得ました。あーあの研修は久し振りに緊張したなー。その後、すぐに後楽園球場での登録会で説明員デビューを果たし、今回は2度目の経験となりました。
 久し振りのボランティア参加に、千葉や埼玉のお仲間達は「東京の会の村上さんって、いったいどの村上さん?」と思っていたようで、私の顔を見るなり「えー村上さんだったの!久し振りね」と、なんとも不思議な会話での再会を致しました。思いがけずお会いできたお仲間もあり、嬉しいボランティア再開記念日となりました。
 私の献血とドナー登録呼びかけの大声は、周りの喧騒にかき消されあまり登録者増には貢献しなかったようですが、それでも通りがけに「登録してますよ」と言ってくださる方や「私でも出来ますか?」と声をかけてくださる方も数名いらっしゃいました。休憩中も東京の会の黄色いジャンパーを着てタスキをかけていた私に、コンパニオンの美しい女性が声をかけてくださり、「何時まで受け付けていますか?
 休憩時間に行きますね」と言ってくださいました(結果、残念ながら貧血で登録には至りませんでしたが)。そんな中で見るからに恋人同士の方や、幼い子供さんを連れた若いお父さん、出品会社の社員さん、修学旅行中の男子高校生の二人組などなど…が登録してくださいました。
 数年前の献血並行の登録会では、まず献血の呼びかけを3回したら1回骨髄バンクの呼びかけをしようなどと、妙な気を遣いながらの呼びかけでしたが、なんと血液センターの職員の方も積極的に骨髄バンクドナー登録を呼びかけてくださっていました。長年にわたる千葉の会と血液センターの方々の結びつきの強さを感じ、さらに嬉しく頼もしく思ったものです。
 27日の朝は武蔵野線から美しい富士山を仰ぐことができ、久し振りの骨髄バンクボランティアは、お仲間との嬉しい再会とご協力くださった献血センターの方々、献血して下さった方、登録して下さった方への感謝に触れることができた3日間でした。皆さんに「ありがとう」 (村上順子)

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筆者(前列右端)

骨髄提供者からのメッセージ
2度目の体験日記 患者さんへの変わらぬ思い 小口 幸人(31歳)

 2回目の提供です。1回目は,約3年前の春でした。2回目ともなると落ち着いたものでしたが,最終同意面談で「1回目がうまくいったからといって2回目がうまくいくとは限らない」という説明を受け,少しドキッとさせられました。
 そうは言っても2回目ですから,少し趣向を変えて,入院してからの経過を詳細に報告することにしました。ぜひ,参考にしてください。もちろん,各病院毎に扱いが違いますのでご了承ください。

●1日目●
 病室に通されるなり,担当のお医者さんや看護師さんがご挨拶にこられました。当然,名前は覚え切れません…。さっそく採血,そして簡単な問診です。寝不足であることを正直に報告し,お腹と背中の音を少し聞いてもらい,喉をみてもらいました。
 一段落したところで,看護師さんに病棟の説明をしていただきました(今回は小児科に入院です。珍しいケースらしいですが,子供が多くて心が安らぎます。全ての設備が子供サイズです(笑))。検尿をし,体温を測り,身長と体重を測りました。体温は,朝・昼・晩と退院するまで測り続けます。記入する用紙も小児科仕様,すべてひらがなでかわいい絵入りです。
 持参した荷物を整理し終わった頃,麻酔科へ呼ばれました。DVDで一通りの説明を受けた後,手術の際にも立ち会っていただける麻酔医さんから,麻酔の方法とリスクについて直接説明を受けました。
 お昼になり,最初のご飯をいただきました。若干味気ない食事ですが,いかにも栄養バランスがよさそうです。食事の後は特にやることがありません。強いて言えば,のんびりしていることが仕事です(退屈しのぎに本や雑誌等をたくさん持参しましょう)。
 午後にしたことは,翌日の手術の際に使用するT字帯を病院の売店で購入したこと,翌日以降入れないのでお風呂に入ったことぐらいです。21時以降は絶食です。絶食前にたっぷり水分を取り,今夜は早めに寝ることにしました。寝付けないようであればと睡眠導入剤がありますとのお話でしたが,眠ることができました。

●2日目●
 朝起きて,ひげをきれいに剃りました。昨日麻酔科で見たDVDの中で,酸素マスクを密着させるためにひげを剃ってくださいとの説明があったからです。看護師さんから,手術着に着替えるように言われました。T字帯の付け方をすっかり忘れてしまったことを女性の看護師に話したところ「手伝いましょうか」と言われたのですが,少し恥ずかしかったので自力でがんばりました。手術着に着替え,看護師さんに付き添ってもらいながら手術部まで歩いて行きました。お医者さん達の到着を待って,いよいよです。
 中に入り手術台に横になりました。すぐに手術着を脱がされ,点滴の針をつけてもら……ったところまでしか記憶は全くありません。麻酔でぐっすりです。
 次の記憶は病室のベッドです。点滴,酸素マスク,脈拍と血圧を測る機械,カテーテルが体につけられて仰向けに寝ていました。腰は少し痛みますがさほど気になりません。腰の痛みよりも,カテーテルの違和感の方がはるかに気になりました。この違和感と痛みは男性独特のものらしいです。
 しばらくはひたすら辛抱です。骨髄移植の手術で,一番つらいのは,おそらくここから数時間だと思います。2時間ほど過ぎた頃でしょうか,酸素マスクをとることを許されました。同時に,脈拍や血圧を測る機械もとれました。少し身軽になりましたが,カテーテルが痛いです…。
 4時間ほど過ぎた頃でしょうか「立てそうですか」と尋ねられました。「大丈夫です」と答えた後ベッドから起き,立ち上がりました。自分でトイレに行くことができるようになったので,ようやく,カテーテルから解放されました。抜かれるときは痛いです…。あとは点滴だけです。
 この日の夜は,ずっと点滴をつけたままでした。私が何かするたびに点滴が閉塞してしまい,看護師さんを呼ぶはめになりました。何度もお手を煩わせてすいませんでした。点滴のせいで少し眠りにくかったのですが看護師さんの協力もあって眠ることができました。

●3日目●
 朝食からご飯を食べることができました(おかゆでしたが)。午前10時に抗生剤を点滴してもらったのを最後に,点滴を外してもらうことができました。鎖から解き放たれたような開放感です(笑)。お昼からは通常どおりのご飯が食べられるようになり,歩き回ることもできるようになりました。後は暇です…。

●4日目●
 お世話になった方々にご挨拶をして退院です。午後からは普通です。
 入院して改めて思うのは,患者さんがいかに大変かということです。私など,今回の点滴とカテーテルだけで,もううんざりです。兄がそうだったのでわかりますが,患者さんの苦労はドナーの比ではありません。そんな患者さんの苦労を,また一人分取り除くことができたかなと,今は少しだけほっとしています。(東京都在住)

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~voice~ こころをつなぐ
ヒーロー(前編) 井上くるみ

今回の「Voice.心の声」は、著者が、愛する人の発病から10年の時を経て見えたもの、感じたもの、悟ったことを文章にしたものです。
長文の為、3号に渡り掲載致します。(編集部)

●1999年 〈本態性血小板血症〉
 社内の健康診断で血小板数が異常値(70万)を示し、即刻病院で精密検査を受けた結果、本態性血小板血症(ET)であるという診断を受けたそうです。この時点で本人にも告知があり、以後は毎月1回外来で血液検査を受けてハイドロキシウレア(ハイドレア)を服用していました。精密検査と経過観察にかなりの日数を要したのですが、私たち同僚にはそんな危機的状況を抱えている心の内を誰に打ち明けるでもなく、いつものように深夜まで黙々と皆と仕事をし、私のBirthday Partyにも来てくれました。
 数週間経ったある日のランチタイムに「白血病ではなかったらしい。血小板が人より多い病気だったぁ.」というだけの素人的な?理解を安堵した様子で私たちに初めて報告してくれました。骨髄穿刺を受けていた事も含めてかなり衝撃的なニュースに驚いている私たちを尻目に「病気のおかげでこれからは毎月血液検査をしてデータ観察できるんだから自己の健康管理はカンペキだよ!」などと言いながら、この病気の正体を正確に把握しようとはしませんでした。
 確かに、当時の彼のステージでは自覚症状もなかったし、薬で血小板値をコントロール出来ていたのでこれといった重篤な症状もなく、日常生活には何ら支障を来さなかったのです。いわゆる世間一般の健康な働き盛りの30代と同じ生活をしてはいたものの、あれから10年の月日を経た今日、あの日皆の前で「カンペキだよ!」とクールに言い放つまでの胸の内、彼が心の奥底に抱えていた不安と恐怖を誰にも覗かれたくなかったんだなぁ、と、悟ったのです。

●2006年早春 〈骨髄異形成症候群へ移行〉
 この年の2月のことです。お正月明けからあわただしく出かけたアメリカ出張から戻ったばかりの私は、久々に一緒に食事する彼の顔色がなんだか優れないと感じながら「今月のデータはどうだった?」と、努めてさり気なく聞いてみました。すると予想以上に神妙な面持ちで言いました。「どうやら僕の骨髄では血液が作れなくなってきてるらしい。先月PLT(血小板)が正常範囲に来た時には根性で治せたか!と思ったんだけど、今月はどんどん下がってて貧血も出てるらしいから隔週で通院する必要があるんだってさ」。
 何とも腑に落ちない説明でした。一体この人の身体の中で何が起きているのか、何とかして確かめないと。そう考えて血液学専門書やインターネット、米国の血液学会サイトなど、あらゆる情報を集めてみました。要するに状況を把握して最悪の状況を知っても自分がショックを受けたりしないように心の準備をしようとしたのですが、恐ろしい事ばかりが頭をよぎって眠れない日が続きました。確証のない事に気を取られた素人が病名の推定をするのは愚かな事だと反省し、診断を待つことにしました。
 3月下旬、彼は精密検査の診断結果が出たその足で私を社内の会議室に呼びました。「ごめん、結果は良くなかったんだよ…」そして、骨髄が線維化してしまっている事、骨髄移植を受けなければならない事、少なくとも半年は復帰できない事などを話してくれました。「で、病名は何だったの?先生は何て?」涙を流す私の質問には答えずに「泣いてくれるのは有難いんだけど、ある意味これは僕にとって根治へのチャレンジだと思ってるからポジティブに受け取ろうと思う。長くなるけど僕は必ず治すつもりだから。サポートしてくれる?」と言いました。彼は今ふうの言葉を借りれば「有言実行の人」、何が何でも物事を成し遂げる為の情熱と強い信念を持っていました。一度決めたら引かないこの人が病を克服できたなら、その経験はさらに彼の人生を大きくする事になるでしょうし、そんな彼に会ってみたいと思いました。

●2006年春 〈急性骨髄性白血病へ移行〉
 4月に入って幸いにも妹さんのHLAとフルマッチしている事が分かり、移植日と入院日が確定されるとその後は大変な忙しさでした。彼がリーダーをしていた製品開発プロジェクトはピークに差しかかっており、国内の主要なコンピュータメーカー各社もその完成を待っていました。3年間も進めていた大きなプロジェクトを中途で抜けなければならない彼の無念さを汲むと、とても可哀想で何も言えませんでした。
 業界全体の命運をかけた大きな製品であったが故に、彼の引き継ぎには膨大な作業が発生していました。早朝から夜間まで会議漬けになっている彼をハラハラしながら見守りつつ、「これじゃあ病気以前に過労死する……」そんな事を考えていたゴールデンウィークも間もなくというある日、二人でほぼ同時に風邪をひいて熱を出してしまいました。私の熱は1日で下がったのに、彼は微熱が続いて貧血が進行し、一向に回復しません。私はこの時に3月の時点から疑っていた「急性骨髄性白血病」が彼の病気である事を疑っていたのですが、恐くて本人に紐解くきっかけさえ切り出せませんでした。
 そんなある夜遅くに「胃が痛くて歩けない」と言ってタクシーで帰って来ました。普段胃痛はないし、骨髄が線維化している=とうとう肝臓か脾臓が腫れて来たんだ……などと推察しながらも、「頼むから明日は会社を休んでね?」とだけ言いました。さすがの彼もそんな状態で出社するとは言いませんでしたし、その時はすでに身体を動かす事もままならない様子でした。そして2日後、先生からの電話で当初の移植入院予定日より2週間も前倒しで緊急入院することになり、即刻輸血と抗がん剤(キロサイド)治療が始まりました。入院してもなお、仕事の引き継ぎが完了していない事を気にして病室にPCを持ち込んでメールと電話で引き継ぎを進めようとするので、半ば私は驚きあきれていました……。(次号へつづく)

東京ドナー登録会予定(12月)

12月 2日(水)中野区役所(中野区)
12月 9日(水)三茶しゃれなーど(世田谷区)
12月12日(土)数寄屋橋公園(宝くじ)(中央区)
12月14日(月)千代田区役所(千代田区)
12月14日(月)赤羽駅東口(北区)
12月19日(土)学生クリスマスキャンペーン(池袋東口)(豊島区)
12月25日(金)板橋区役所(板橋区)

◆編集者雑記◆

▼2009年の会報も最後の月になりました。今年の東京の会及びボランティア活動報告と、同時に骨髄バンクの状況を振り返ってみたいと思います。一昨年末、長年の目標であったドナー登録30万人に到達して、その後のボランティア活動の大きな指針・スローガンが示されないまま、患者救済を共通認識として、各地で様々な活動が行われました。
▼東京の会も新しいメンバーが数名加わり、それぞれがアイデアを出し合い、活性化されたような気もします。この会報制作も今年編集委員会を立ち上げ、月二回、仕事の後集まり、作業を行うようになりました。
▼なぜボランティア活動に参加するのか…。そこには一つの答えのようなものは無く、各々が何かを信じ、何かを求め参加しています。骨髄バンクボランティアは患者救済。ボランティア活動で一番嬉しいことのひとつは、元気になり、社会復帰をはたした患者さんとの再会です。
▼ある患者さんは、約20年前(当時彼は小学生)、日本に公的な骨髄バンクがない時代に兄弟から移植を受け、現在社会人として元気で生活しています。彼はパッと見、まるで美しい可愛い少女のようです。移植前の放射線治療等の影響で、成長ホルモンが上手く働かなかった結果です。しかし、彼の性格は常に前向き、こちらが逆に勇気を与えられることもある男です。年に一度、彼とチャリティー麻雀大会で一緒に麻雀をすることや、様々なイベントで彼に会うことが楽しみです。
▼血液難病に対する医療の進歩も驚くばかりです。同じ病気の治療法が複数になり、患者の選択(医師の判断)が増え、社会復帰への道が大きくなると信じたいと思います。
▼現在、非血縁者間のPBSTC(抹消血細胞移植)の導入が財団を中心に検討されています。この治療法は、ドナーの身体的な負担を減らすという部分がメリットですが、近々の導入に向けて提供日数や診療報酬、G-CSF投与の副作用の問題等、現在委員会で実施に向けた諸問題の審議が行われています。患者、ドナーも選択肢が増えることは良いことですが、それをとりまく社会的環境を整えることも大切なことと思います。
▼患者さんを亡くすこと以外に、悲しく、驚くことが今年はありました。それは、会報でもたびたびお伝えしておりますが、財団の元常任理事より、この会報の記事が名誉毀損にあたるとして東京の会とそのメンバーが訴えられたことです。現在も裁判が続いて係争中ですが、近々判決がでるもようです。東京の会のメンバーには、ご子息を亡くした遺族や闘病中の患者、その家族、ドナーが中心となり、患者救済を胸に活動しています。
▼東京の会発足20年、このようなことは想像もできず、ボランティアの人たちの驚きと落胆、悲しさ、憤りは言葉にできないものです。ある地域のボランティアの方は、東京の会と財団が裁判で争っていると誤解され、その説明にも時間を取られました。
▼来年の東京の会は、設立20周年のイベントに向けて準備中です。参加される方が希望の持てる企画で前進あるのみ。そして、スッキリした気持ちで、まだまだ残っている諸問題に立ち向いたいと願っています。(I)

♪「12月定例会」/1月会報発送「おりおり」 のお知らせ♪

東京の会「12月定例会」のお知らせ

12月19日(土)午後5時30分より
会場:全労済東京・レインボー会館3階会議室
※新宿駅下車7分(新宿区西新宿7-20-8)
※西新宿駅下車1番出口徒歩2分
青梅街道新宿警察署きらやか銀行の角入ってすぐ右側
※1月定例会予定・1月16日(土)午後5時30分より
定例会は 毎月第3土曜日午後5時30分 から開催しています。


1月会報発送「おりおり」のお知らせ

1月9日(土)13時00分より【注:時間変更】
※開始時間が変更になりました。13時以降にお越し下さい。
場所:品川運輸・4階会議室(品川区東大井2-1-8)
JR大井町駅徒歩8分・京浜急行鮫洲駅徒歩2分
※今お読みになっている「東京の会通信」を約1000部
折って封入して発送します。簡単な誰にでも出来る作
業です。いつも人手が足りません。どうかご協力を。
※2月「おりおり」予定・2月6日(土)13時00分より


新しい方大歓迎です。お気軽においで下さい。お待ちしています。

平成21年10月末日現在 登録・適合状況

◆◆◆日本骨髄バンクの登録患者と検査済登録ドナー◆◆◆

ドナー(全国) 登録者累計 349,707人/10月登録分 4,345人/10月抹消分 865人/実質登録増 3,480人
ドナー(東京) 登録者累計  50,707人/10月登録分 391人/10月抹消分 115人/実質登録増 276人
患者(全国)  登録者累計 28,759人/10月登録分 179人


◆◆◆患者とドナー登録・適合状況◆◆◆

ドナー登録受付者数(累計) 445,900人
ドナー登録抹消者数(累計) 96,193人
有効二次検査済ドナー数 349,389人( 10月3,491人増)
二次検査適合ドナー数(累計) 208,596人
実質登録患者実数(現在) 2,679人( 国内1,365人)
HLA適合患者数(累計) 23,423人( 患者累計数の81.4%)
非血縁移植実施数 11,052例( 10月実施107例)

About 2010年02月

2010年02月に「東京の会通信」に投稿された記事です。

先月号は2009年11月です。

次月号は2010年04月です。

他にも多くの記事があります。メインページすべての通信も見てください。

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