東京の会裁判もいよいよ大詰めを迎え、昨年12月7日10時30分から東京地方裁判所第721号法廷において証拠調べ(当事者、証人尋問)が行われました。午前中は原告本人、午後は東京の会会報当該記事の執筆者、遠藤允氏と野村正満氏が証言台に立ちました。
証人尋問は、証人の「嘘は言わない」との宣誓から始まります。原告側証人に対しては原告代理人(弁護士)が先に尋問し、次いで被告側代理人〔弁護士〕の反対尋問が行われます。被告側証人への尋問はその逆の順序になります。
真実のみを述べる宣誓はされるのですが、実際には、答えにくいことには「記憶にありません」とか「個人のプライバシーにかかわるのでお答えできません」のような回答が多用されます。そのような答えに対して、いろいろな方向から質問を繰り返して真実を引き出していくのが質問する弁護士さんの「腕の見せ所」のようです。
最後に、裁判官が質問して証人尋問は終わります。以下の各証人の証言の要点は、速記録でなく、いくつかの質問に対する証言をまとめたものです。
次回の弁論日程は未定です。
○原告証言の要点
(訴訟を起こした経緯)
東京の会会報記事により個人的攻撃を受け、名誉を損なわれ、精神的苦痛と恐怖心を感じている。ウェブサイトに記事が掲載されていることは苦痛である。ボランティア団体を訴える考えはなかった。ボランティアは善意だからである。しかし、扇動団体とボランティアの一部幹部はボランティアといえない。ボランティアと称する一部幹部が財団(骨髄バンク)に出入りし、職員が迷惑していた。自分は見張られていた。
(新聞記事と国会質問)
自分は公務員としてなんら処分を受けたことはなく、新聞記事は事実でない。編集者雑記筆者から何の問い合わせも受けたことはなかった。衆議院予算委員会の質疑が載せられた議事録の発行は6 ヶ月後だが、議事録ウェブサイトは毎日見ていた。
(職務怠慢との指摘について)
遠藤氏の投稿記事については個人的(感情)なものを感じた。怠慢を指摘されているが思い当たることはない。患者負担金軽減について関係先への働きかけを適切に行ったし、職員に対して挨拶、対話も必要に応じて行っていた。新宿の街頭登録会には職員の連絡に従い定刻どおり出向いており遅れていない。たすきはきちんと身につけ、恥ずかしいからとの理由で外したりしていない。健康問題について触れられ、誠に驚いた。病欠したために業務に停滞や遅れが生じたことは全くない。
(セクハラ・パワハラ行為について)
山崎裁判判決で外部調査報告書がハラスメントと疑われても仕方がない事実があったと指摘されているが、そのような事実はない。山崎報告書は山崎元職員の自己保身のために作成されたものである。K庁時代のハラスメントに関することは捏造されたものである。財団はハラスメント対策を行うよう労働局の指導を受けているが、具体策を講じることに関しては関与していない。
○遠藤允氏の証言の要点
(ユニオン結成の経緯)
労働組合の立ち上げは、財団職員の待遇が公務員に準ずるとされているのに低かったため、改善を求めることが目的だった。職員の退職が多発していた。
(前常務理事時代の患者負担低減と登録者の増加について)
負担金の軽減、保険適用の拡大による患者負担軽減活動は原告着任前の2005年の方が活発だった。2006年から7年にかけて登録者が増えたのは、それまでの財団職員の努力、支援ボランティアの努力の成果であり、原告の功績とは思わない。
(投稿記事を書いた動機)
訴えを受けた投稿記事を書いたのは、財団の運営に改善の必要を感じていたからである。投稿をすすめられたわけではない。記事が誹謗中傷に当るとは考えていない。
(自分の雇い止めについて)
2006年6月に雇い止めを受けたが、常勤的臨時職員は定年までは更新されるのが前例となっていた。更新契約の際に更新打ち切りの文言に気づくのが遅れた。理事長に更新をお願いしたが取り合ってもらえなかった。
○野村正満氏の証言要点
(骨髄バンク発足に果たしたボランティアの役割)
1991年12月に発足した骨髄バンクは人手が不足し、業務習熟も不足しており、ボランティアが多数参加して補っていた。しかし、ボランティアがバンクを支配するようなことはなかった。
(財団常務理事の出自)
常務理事職位は歴代厚生労働省出身者が就いてきた。しかし、いわゆるノン・キャリといわれる方だった。前常務理事が就任されるに当り、給与増額が必要となったが厚生労働省との関係が円滑化されるとの期待が高まった。就任後しばらくして、前常務理事は骨髄バンクには不相応しくないと感じるようになった。職員の半数が短時日のうちに退職し、骨髄バンクの職場が安定性がなくなり、職務への習熟が懸念されるようになったからである。
(阿部議員の国会質問と新聞記事について)
財団についての質問は、インターネットによる議事録公開で知った。K庁時代の問題は、毎日新聞の知人を通して確認することができた。しかし、議員の質問が匿名だったので、編集者雑記の記事も匿名とした。
(前常務理事の財団退職について)
前常務理事の退職について、山崎裁判における、財団事務局長が証人尋問で、辞めさせられることになったなと感じたとの感想を証言されたのを聞いて、当時の財団内部での雰囲気が理解できた。
(編集者雑記筆者の氏名を公表しなかった理由)
編集者雑記については氏名を公表しないで来たが、それによって節度のない記事を書かれたということはない。会報記事に対しては会として責任を持つというのが公表しなかった理由である。 (新田恭平)