東京の会20周年
原点に戻り記念事業を展開 東京の会事務局長 大橋一三
「公的骨髄バンクを支援する東京の会」の活動が20年目を迎えます。
1990年、骨髄移植推進財団が出来る前年に「公的骨髄バンクを望む東京の会」として発足し、これまでにさまざまな活動を続けてまいりました。血液難病の患者の視点で20年を振り返ると、ドナー登録者(ボランティア)は35万人を超え、医療の進歩、さい帯血移植の確立、財団及び行政の働きによって多くの方が社会復帰することが出来るようになりました。しかし、無念にも亡くなっていく方も多くいらっしゃいます。
私事ですが、1999年4月に骨髄提供者になりました。その時コーディネーターの方から患者さんより預かった手紙を渡されました。お礼の言葉とともに「まだ死ねないのです。私には幼い子供がいます。この子を残して死ねないのです。もう少しだけ生きていたい。」と記されていました。今も春のその日を迎えると、「お母さんは元気かな?子供は中学生くらいになったのか?」という想いが駆け巡ります。
骨髄提供1年後に縁があり、財団の職員の方に東京の会の活動を紹介され参加するようになりました。そこで目にしたのは、ご子息を亡くされた遺族の方達が骨髄バンクの幟旗を立てドナー登録の呼びかけを行っている姿でした。ショックでした。それからは、出来ることを出来る範囲で活動を続けていますが、自分のドナー体験談を話しているときに「もし、自分が患者の立場だったらと考えてみると……」と話すと、関係者から「その発言は、脅迫になります。暴力です。」とお叱りを受けたことがありました。…暴力?…脅迫?…私は自分が患者だったらと思いドナー登録をしました。そして、ただ想像力の話をしているだけです。…まあ、いろんな意見があって結構。
20年。20年が経ち骨髄バンクや患者さんの状況や環境は満足できるものでしょうか?違います!
先に「無念にも亡くなっていく」と触れましたが、骨髄移植、骨髄バンクがない時代に白血病をはじめとする血液難病にかかったならば、受け入れがたく無念ではありますが、運命として心にしまいこんでいた時代も今は昔、生きるチャンスがこんなにも広がったなかで亡くならざるを得ない、患者さんやそのご家族の無念さは計り知れないものがあると思います。
東京の会は、「患者救済とドナーの安全」の活動理念をもって原点に返り、この「声なき声」が広く社会に届くよう、日々の活動とともに20周年事業を推し進めてまいります。読者の皆さまのご理解とお力添えをもって、全ての患者さんとそのご家族が希望を持てるように願っております。

世田谷ボロ市

2001年宿場まつりパレード

2001年あやちゃんの贈り物展開催
以下が東京の会20周年記念事業の年間予定です。
多くの方の参加とご協力をよろしくお願い申し上げます。
①東京の会 20周年を語るつどい
日時
3月22日(祝・月)14時から17時
場所
ホテルローズガーデン新宿
ガーデンレストラン
コフレドール
主旨
設立からこれまで活動に関わった全てのボランティアが一同に会し、活動秘話や思いを共有し、これからの活動につなげていく。
②都内主要献血ルーム共同ドナー登録会
4月24日(土)の銀座教会での集団ドナー登録会を皮切りに、東京都赤十字血液センターと連携を計り献血ルームでのドナー登録者確保。
1年をかけて都内主要7ヶ所【新宿東口献血ルーム・献血ルームSHIBU2・献血ルーム吉祥寺タキオン・献血ルームぶらっと(池袋)・有楽町献血ルーム・まちだ献血ルーム・アキバ献血ルーム】にて、1999年9月15日に行った一斉登録会での670名に近い登録者が得られるよう願って、ドナー登録&献血の呼びかけ及び骨髄バンク普及啓発活動を行うことが決定いたしました。
③記念患者交流会
6月26日の東京の会総会時において、都内血液難病の患者会との交流会を開催し、相互理解と親睦を深めることを目的とする。100人規模で予定。
東京の会総会
6月26日(土)に決定
場所
新宿全労済レインボー会館3階
④20周年記念冊子製作
20年の活動を振り返り、記録として残すとともにその時その時の活動に対する想いを後世に伝え、命について心に残るものを製作中。読者の皆さまで、当時の活動の様子が分かる写真等がございましたら是非ともお貸しくだされば幸いです。
⑤20周年記念イベント
若年層も含め普及啓発を兼ねた、記念イベントを開催。10月頃予定。

宿場まつりでの登録会「願いはドナー登録30万人」

2009年2月新宿東口献血ルーム前にて 骨髄移植10000例
さい帯血移植5000例ありがとうキャンペーン



