専門医からのアドバイス
はじめに
この文章は、あなたが白血病と診断され 十分説明を受けておられることを前提に書いています。
白血病という病名告知を病気の初期から行うことはこの10年間で普通のことになりつつあります。
急性白血病にせよ、慢性骨髄性白血病にせよ治癒することを目標としているのです
(若い人の場合には特に治癒が達成可能な現実的目標です)。

あなたの前向きな態度と生きる姿勢、正確な理解、生活の調整が白血病を治癒に導く大きな要素になるのです。
あなたが白血病という病気に対して医師を含めた医療従事者と共同で対処する時代になりつつあるのです。

(以下、省略)

看護婦からのアドバイス
白血病と言われたら
白血病の診断は、ちょっと体調が悪くて病院に行き検査をしてもらったら、
その結果、医師が非常に深刻そうな顔をして「貧血ですね」とか、または「血液のほうに異常がありますね」
という言葉で始まるのでしょうか。
最近はストレートに病名を告げる医師も増えたので、もしかしたら「白血病の疑いがあります」と言われる方も多いでしょう。

いずれにしても"白血病"と言われた時、白血病イコール血液のガンと思っている人にとって、
それは大変なショックであると思います。
そして次には「私が白血病だなんて何かの間違いではないか、そんなはずはないと、
とても信じられない思いをもたれることと思います。
頭の中が真っ白になり、家までどのようにして帰ったのかも覚えていないと話される方もいらっしゃいます。

病名を告げた医師も、このまま帰しても良いのかどうかとても心配になるものです。
できれば家まで付いて行きたいくらいに思っているほどです。

そうです、この時から白血病と言われたあなたと、それを言った医療者は運命共同体みたいな関係になるのです。
白血病の治療は長くてとても辛いものですが、あなたの今後の治療について医師はきちんと説明してくれるはずです。
初めて診断を受けてから次の受診までに、いろいろ心の動揺はあると思いますがまずは聴いてみて下さい。
白血病ってどんなものなのか、どう闘っていくのか、あるいはどう共存していくのかを・・・・・・
もしその時、医師の言うことがよく理解できなかったり難しい言葉があったりしたら、どうぞ側にいる看護婦に言って下さい。
もちろん後からでも構いません。
気になることがあったらなんでも聞いていいのです。看護婦自身が答えることもありますし、医師に伝えることもあります。

とにかくあなたの不安や疑問は、少しでも早く解決できるようにお手伝い致します。


(以下、省略)
患者からのアドバイス
はじめに
本冊子を読んでご理解いただけるように、白血病などの血液難病においては、
「告知=死」という図式は既に成り立たなくなっています。
的確な診断法、治療法、支持療法などの飛躍的な進歩のおかげで、十数年前までは「不治の病」と考えられていた病気を克服して、
社会復帰することが今や可能になっているからです。

しかし、現在でも、このような血液疾患の完治は短期間では難しく、どうしても闘病は短期決戦型ではなく長期的なものになってしまいます。
ですから、病気を治すうえで「患者自身の自己管理」が大変重要になってきます。

この項は、発病間もない患者さんのために、
先輩の患者さんたちの経験を踏まえて「患者自身に何ができるのか」について書かれたものです。


(以下、省略)

患者家族からのアドバイス
約13年前に23歳の息子が、ウイルス性肝炎の治療中に突然に再生不良性貧血となりました。
当時の私はこの病気について何もわからず、単に貧血の一種と思い込んで、
鉄分の多い食べ物を食べさせようと一生懸命でした。
肝炎の治療中のために、主治医は肝臓病の専門で血液疾患についてはよく知らず、手探り状態で治療をしていました。

プレドニンによるパルス療法(免疫治療)も全く効果がなく、ただ輸血で何とか状態を保つ毎日でした。
その頃は、この病気に関する本もなく、主治医に聞いても詳しい説明は受けられず途方に暮れるばかりでした。
主治医からは、免疫治療も効かないので、骨髄移植しか方法はないと言われましたが、
骨髄移植とはどんなものかさえわかりませんでした。

ただ毎日、血球数の数値を聞き、数値の上下に一喜一憂していました。
私の高校時代のクラスメートである耳鼻科の医師に相談しましたが、白血球の数値(300程度)を言うと、
そのように低い値では転院も難しいと言われました。そこの病院で約1年の間、これといった治療もできないまま、
何とか白血球の数値が上がり、血液の専門の科がある病院へ転院できることを祈るばかりでした。
息子は、たまたまその病棟に準無菌室があったため、そこに入って一歩もその室から出してもらえずに
精神的にいらついた毎日を過ごしていました。

そこは、息子の通う大学の付属病院で、自宅からは数百キロも離れていたため、
私の妻がアパートを借りて付き添っていました。

しかし、数値は上がるどころか、白血球が100に近い状態となり、再度友達の医師に相談し、
専門の医師を紹介してもらい相談の結果、さる著名な病院に転院させることができました。
そこで、初めて主治医から病気の内容について説明を受け、この病気について多少の知識を得ることができました。
また、それまでにはなかった患者家族会を作り、専門の先生方から皆で話しを聞き、次第に知識を深めてゆきました。
転院後息子は、G-CSFの投与で白血球の数値が上がり、外泊が許され1年半ぶりに家に帰ることができました。
その感激は今でも忘れることはできません。

このような時代に、私たち患者家族が何をするべきかと考えた時、公的な骨髄バンクを作り、
多数の患者さんが骨髄移植を受けられる環境を実現することではないかと思いました。
その当時、全国的に骨髄バンクの設立を目的としたボランティアグループができつつあり、私の地域でもグループを結成し、
活動を続けてついに公的骨髄バンクが設立されました。

私の息子はバンク設立前に不幸にもこの世を去りました。
その後10年余が経過して、医療の進歩は目覚ましいものがあり、また血液疾患・造血幹細胞移植に関しての書籍や情報が
容易に入手できるようになりました。
バンクからの骨髄移植も2000年11月には3,000例に達しました。

病院や医師も、インフォームド・コンセントが当たり前と考えるようになり、
患者さんやそのご家族の質問や疑問に応えてくれる医師が次第に増えてきました。
しかし、これらの病気に罹ったばかりの人にとっては、医師に何を聞いたらよいかもわからずに、
ただ不安と焦りの毎日を送っているのが実情かと思います。

今では薬による治療でも治癒率は向上しており、移植療法においても骨髄移植だけではなく、
さい帯血・末梢皿幹細胞移植やミニ移植、リンパ球輸注など多岐にわたる治療方法があり、移植の成績も次第に向上しており、
この病気は治る確率が高い病気となりました。

患者家族にとって必要なことは、冷静な心で事態に対処することです。それにはまず主治医の説明が理解できるように、
この病気についての最低限の知識を得て、治療方法の選択も主治医任せではなく、
患者やその家族が一緒になって判断すべきと思います。
また患者の不安を取り除き、心の支えになってあげられるのは、患者家族ではないかと思います。

例えば、移植治療によって子どもがつくれなくなると思い込んでいる患者さんがいかに多いことでしょうか。
確かにその確率はまだ高いのが現状ですが、実際に移植後に子どもをもうけている人が何人もいることも事実です。
また移植の前処置での放射線のかけ方などを工夫して、不妊の原因を少しでもなくしていくように努力がなされています。
このことを患者さんに伝えて、患者さんに希望を与えてあげることも必要ではないでしょうか。

また常に患者さんの状態(心と病状)を把握するために、主治医から毎日の検査結果等を聞いて、
場合によっては第三者の医師にセカンド・オピニオンを求めることも必要かと思います。

この小冊子を手始めに、患者さんの病気の実態を知るために、できるだけの情報を集める努力と希望をもって
冷静に事態に対処する心が家族にとって必要なことだと思います。

この小冊子に掲載されているように、患者さんとご家族を支えてくれる数々の団体や制度がありますから、
これらを利用することも良い方法かと思います。

最初に私の経験をお話ししましたがその当時の環境とは全く異なり、今ではそのつもりで行動すれば、
良い方向に向かっていける環境になっています。
とはいっても、患者さんを励まし支えながら生活していくご家族の心の負担は凄く大変なものです。
だからといって、泣いてばかりいても物事は解決しません。
勇気をもって病気と闘う気持ちを忘れることなく、あらゆる可能性に挑戦して下さい。

治療の選択肢も拡がり、治療成績も向上し、情報も豊かになり、
患者さんやご家族に対する医師の対応も良くなってきている時代です。
私が経験した苦しさを考えれば隔世の感があります。

何度も言うようですが、何よりも不安と恐れをもっているのは患者さんです。
患者さんはご家族の支えを必要としていることを良く理解し、
最後まで希望をもって前向きに対応して支えとなってあげられるように努力して下さい。
皆さんの心の支えとなることが少しでもできればと、行動している人達も大勢いることも忘れないで下さい。
私達皆で病気と闘いましょう。  勇気をもって!


(以下、省略)
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