骨髄バンク全国キャラバンin沖縄
沖縄県骨髄バンクを支援する会
代表 上江洲富夫
全国キャラバンの企画を知った99年1月頃は、当県で6月19、20日に開催される「'99全国骨髄バンクボランティアの集いin沖縄」(以下全国大会)の事で頭がいっぱいでした。全国大会への一般市民動員の切り札として企画した「東ちづる&宮本亜門」トークショーがほんとに実現するのか?もし実現しない場合の代替案をどうするか等で日々悩んでいる頃です。全国大会開催のため全国協議会の運営委員会に参加していましたが、当初はキャラバンの実施はどうなるかわからないと思っていました。
しかし、次第にキャラバンを本気で実施するつもりらしいこと、各県団体とも是非取り組まなければならないことを感じるようになり、会員でキャラバンの企画について話し合ったのは3月の定例会でした。
全国キャラバン出発式も兼ねることになる出発式は、沖縄らしいイベントと言うことで「エイサー」を取り入れることにしました。「エイサー」は旧盆(1999年は8月25日)頃に地域青年団のメンバーが三味線、太鼓に合わせて隊列を組んで勇壮に踊る伝統芸能で、県内でも人気があります。
企画素案を3月末に全国協議会へ提出した後は、また全国大会の準備にかかりっきりになります。そこへ骨髄移植推進財団の山崎氏から全国大会と連動した骨髄ドナー一斉登録の企画が持ち込まれます。即座に「実施しましょう」と返事し、6月20日(日)に100名規模の集団登録を開催することが決まりますが、財団から企画提案と言っても会場確保や登録者募集等に動くのは地元です。4月、5月は全国大会と集団登録の件で県や那覇市に日参する日が続きますが、6月が近づくとキャラバンのことも気になり始め、全国大会・集団登録・キャラバン&本業で疲労困ぱいとなります。翌日から出張という6月初めに腰の激痛で動けなくなり救急車で病院へ運ばれ入院するはめになりますが、迫るイベントへの強迫観念で1週間で自主退院します。
そのような状況で実施した全国大会、集団登録は血液センターをはじめ多くの関係者の協力のおかげで大成功で終了します(感謝)。それから、一挙にキャラバン実施体制へ移行です。全国大会、集団登録のお礼を言いながら県・那覇市を廻り今度はキャラバンへの協力を依頼します。血液センター・県議会へ協力依頼、キャラバンカー運行表作成、警察への道路使用許可申請、キャラバンカー用広報エンドレステープ作成と準備は続きます。しかも、その間も行政への補助金申請作業で全国大会の後始末は続いていました。
80名余による出発式のエイサーは人気があり人を引きつけ、式典も滞りなく行われ、多くのマスコミ取材がありました。血液センター提供の救急車・トラック・バス・ジープ等を含む13台を連ねたキャラバンは無線連絡で統制がとれ壮観でした。翌日の県庁訪問時もマスコミ各社の報道があり、当県でのキャラバンの目的は達成できたと思います。当会としては九州骨髄バンク推進連絡会議沖縄支部から沖縄県骨髄バンクを支援する会へ移行した最初の大きな行事でした。しかし、しばらくはキャラバンは遠慮したいと思います。なにしろ非常に疲れました。
次ページへ(キャラバン初日:パレットくもじで行われた出発式等)1999.07.18
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