琉球新報朝刊2000年12月8日に掲載された記事からの転載です。

         「命の贈り物」骨髄提供 体験記<3> 松本 哲治
                           
   
厳粛な祈りに共感 (愛する人の命 救うために)

  ある晩、ふと私は自分の娘の寝顔を横で見ながら「もしもこの娘が白血病だったら」と考えた。誰にでもかけがえの無い大切な人がいる。
  私にとってそれは、妻であり、子供達であり、両親や兄弟、そして、親友たちだ。もし私にとってのかけがえのない人が白血病になり骨髄移植しか命を救う事ができないとしたら、私はどうするか。もし私の娘が血液難病に侵され、移植以外に生きるすべが無いと知ったら、娘のHLAと一致するドナーを探し出し骨髄を提供してもらう以外に命を救うすべが無いとなったら、私はどんな行動をとるのか。
  すやすやと安らかに眠る娘を見ながら、私は静かに思いを馳せた。私はありとあらゆる知人に電話をしてドナー登録をお願いするだろう。例え、気の遠くなるような確率であろうと、知人の一人一人全てにドナー登録をお願いする手紙を書くだろう。
  知人、友人かまわず、古い卒業アルバムをひっくり返しながら、片っ端から電話をかけまくるだろう。親戚中を回り、会社でも、街中でさえも、道行く人一人ひとりにドナー登録を呼びかけ、要求されれば土下座することさえ厭わないだろうと。
  そんなことを考えてみると、もし自分の愛する娘だったらここまで出来るのに、他人だったら気にせずに生きていける、人間とはなんて不思議なものなのだろうと思った。
  しかし、これは単なる想像の世界の話ではなく、現実にそんな人はたくさんいるはずだ。まるで砂時計のように少なくなっていく命を見つめながら、祈るような想いで骨髄の移植を待っている人が少なくともこの日本だけでも毎年千人以上もいる。
  愛する人の命を守るために、土下座さえ厭わぬ親たちがこの平和で豊かな日本にも大勢いる。世界中にはもっといる。移植を待つ人の数だけ尊い願いがあり、彼らを愛する人の数だけ厳粛な祈りがある。そう考えた夜、私は骨髄の提供を決心した。
  仕事で忙しい私の都合に合わせて骨髄提供に関する最終同意は琉球大学医学部附属病院で行なわれた。精密な適合検査の結果、ドナーとして選ばれた私は、第三者の立会いのもと、同席した家族の同意を含めた最終的な意思の確認が行われた。第三者が同席するのは、骨髄の提供に関して十分な説明がなされたのか、ドナーとその家族がきちんと理解し納得した上での承諾であるのかどうかを確認するためである。
  この最終同意が非常に大切な手続きであるのは、何も私自身のためだけではない。なぜなら、ドナー候補者が現れたことや最終的な適合検査の結果については、この段階ではまだ患者側には伝えられていない。そのため、この最終同意の時点で提供を拒否しても相手は候補者の存在すらわからないのである。
  しかし、この最終同意という手続きを終えると、骨髄液の提供を受ける患者側へ連絡が入り、移植の準備が始まるのである。しかも、それは移植へ向けた心理的な準備だけでなく、骨髄移植のための前処置が始まるのである。それは化学療法や放射線療法によって骨髄を空にし、血液をつくる機能を意図的に壊滅させるものであり、この段階で骨髄の提供を拒否することは、その患者の死を意味するのである。そして、家族や第三者が見守る中、私は骨髄提供の最終同意書に署名をした。
  

 

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