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書籍紹介

造血細胞移植(骨髄移植、末梢血幹細胞移植、さい帯血移植)にかかわる書籍は、骨髄バンク設立運動が盛んになった1990年ごろから刊行されはじめ、設立運動が実を結んで日本に公的骨髄バンクが設立(1991年12月)以降、90年代に数多く出版されました。
正確な書籍数は把握できていませんが、残念ながら、その多くは今や絶版となっています。そこで全国協議会では関係書籍をこのホームページ上で公開することにしました。
著作権や出版権などの権利関係をクリアできた作品を紹介してまいりますので、そうした書籍のご登録をお願いいたします。なお、PDF化するため1部をご提供いただきたいと存じます。

①hide「がんばんだぞ」  (遠藤允著=1998.9刊行)

hide「がんばんだぞ」

「X JAPANのhideに会いたい」......1995年12月31日、世界でも数十例しか報告されていない難病と闘う少女の夢がかなった。出会いの瞬間につつまれた、hideの大きな優しさ。その日から彼女を励まし続けるhideと、彼を兄のように慕う少女との、あたたかい関係が始まった。そして1998年5月2日、hideの突然の死。悲しみをのりこえ、hideのぶんまで、生きるんだ。少女は、今も、未来を信じて闘っている。ふたりが交わしつづけたEメールや手紙、プライベート写真などの友情の軌跡も初めて公開。カリスマと呼ばれ、無数の若者をひきつけたhideの心に触れる感動のドキュメンタリー。(本書の帯より)

※注:本書の主人公のひとりである貴志真由子さんは2009年9月30日、和歌山市内の病院で死去されました。享年28。真由子さんのご両親、hideの事務所である株式会社ヘッドワックスオーガナイゼーション、出版社の株式会社小学館のご理解ご協力によって「刊行当時のままの形」で公開することができました。

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②21歳の別離(わかれ)  (遠藤允著=2001.5文庫版刊行)

21歳の別離

愛知県の中堀由希子さんが留学先のニュージーランドで慢性骨髄性白血病を発症してから、全米骨髄バンク(NMDP)から骨髄を提供されて移植を受けるも、残念ながら亡くなるまで、骨髄バンク運動に乗り出した姿を含め、中堀さんの天真爛漫な姿を描いたノンフィクション。(単行本は1994.3刊行)

21歳の別離 第1部.pdf 21歳の別離 第2部.pdf
21歳の別離 第3部.pdf 21歳の別離 第4部.pdf
21歳の別離 第5部.pdf 21歳の別離 第6部.pdf

◆TBSオンデマンドにて配信中です。くわしくはこちらをごらんください。
21歳の別離

③いのちのバトンリレー 造血細胞バンクのいま  (遠藤允著=2000.4刊行)

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「白血病などの血液疾患は、その原因が分かっていません。いつ、だれがこの病気になるかもしれないのです。この病気と今は無関係な方も、ぜひ想像力を駆使してください」 (「あとがき」より)

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バトンリレー第3部.pdf バトンリレー第4部.pdf
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④55人に届いた いのちの贈り物~東海骨髄バンク (遠藤允著=1993.12刊行)

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日本骨髄バンクの設立に向けた運動は、まず患者家族を中心として全国で高まりました。しかし、すぐにバンクが立ち上がったわけではなく、血液内科の医師ら医療関係者の中からも「なんとかしなくては」という声が噴出しました。そこで、「やむにやまれぬ思い」から発足したのが東海骨髄バンクだったのです。公的バンクに先立つ2年前の1989年秋でした。公的バンクが本格稼働するまでの3年半に55例もの非血縁者間骨髄移植を手がけました。その実績が公的バンクの設立を後押しすることになったのです。

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いのちの贈り物-3.pdf いのちの贈り物-4.pdf
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